赤塚高仁ブログ

父の命日

2017.06.07

 1928年9月13日に生まれた父、赤塚次良(じろう)は、2007年6月7日天に帰ってゆきました。
病院での最後の言葉は、

「バイバイ」でした。

 今日は、家族で高田本山にてお経をあげ、焼香をしてきました。

10年前の4月、病院の検査で胃がんが発見され、あちこちに転移しているとの診断で手術不能。
医者は、もって3か月だと言いました。

病院に行くまで普通に暮らしており、ゴルフに行ったりしていたのに急に入院させられ、
みるみる弱っていった父です。
手術も抗がん剤治療もせずに病院にいるのもおかしいので、家で養生してしていました。

 入江富美子監督の「1/4の奇跡」が完成し、全国で上映会が始まっていましたので、
この映画を私の街、津でも上映し、父にみせてあげようと思ったのでした。
私も登場していましたので、父も喜ぶかなと思いましたので。

5月に会場をおさえ、無理を言って主役の山元加津子さんにもきてもらうことにしました。
映画と講演会を両方やろうと決めました。
600人ほど入る大きめの会場で、満員の客席の真ん中に父に座ってもらおうと思いました。

7月7日を上映の日と決め、全国の友にも声をかけました。
父の枕元にチラシを貼って、少し先の楽しみを待ち望んてもらいたいと願ったのです。

しかし、父は待てずに天に翔けのぼってゆきました。
医者の言いつけを守って、ちょうど3カ月でした。
上映会のちょうどひと月前のことでした。

 映画上映会と、山元加津子講演会。
予定通り開催しました、父の写真は予定通りの真ん中の席。
主催者あいさつで舞台に立つと、父の遺影が見えます。

会場には、全国から集まってくれた私の大事な人たち。

 私は、父に映画をプレゼントしたかったのですが、プレゼントされたのは私の方でした。
父が呼び集めてくださった私の人生の宝もの。

「みんなと仲良くやるんやで」

そんな声が聞こえる気がして・・・

 あれから10年、ここかしこに父の声が聞こえます。
風が木の葉を揺らすのも、父の声のように思える時もあります。

本当に近くの魂との真実の対話は、死に別れてから始まるのかも知れません。
あれから10年。

 父さん、私はたくさんの友達に恵まれて幸せです。
そちらはいかがですか。
友達たくさんできましたか。

 母さんも元気です。

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