赤塚高仁ブログ

父の誕生日

2019.09.13

昭和3年9月13日
赤塚次良(じろう)誕生

78歳で亡くなって、
13回忌を終えました。
生きていたら91歳

9人兄弟の次男
家業は、魚の卸
「魚市」という魚屋もやってました。

津工業高校の建築科を出たものの、
仕事につかず、
東京に出て、浅草をぶらぶら
芝居や寄席、映画三昧だったようです。

三重に戻り、
出来たばかりのラジオ局
「東海ラジオ」のアナウンサー一期生、
司会業でまたあちこちぶらぶら

芸名は「東海じろう」

東海林太郎のパクリにもなっていない、
この安易なネーミングが、
父の人生を象徴してます。

ひょんなことで見合い
なぜかイヤイヤだったのに
運命の歯車が回り出します。

そりやそうでしょう、
二人が一緒にならないと、
私が生まれられないのですから、
あの世から一所懸命仕組みましたよ。

母のお母さん、
私のばあさん

「大事なムスメを、
ヤクザな稼業の人間にやるわけにはいかん」

と、言うと
芸能の世界からあっという間に足を洗い、
建築会社を始めた父でした。
と、
言うわけで、
建築が好きだとか、
事業家に憧れてとか、
理念やポリシーなどない、
でも
愛のある建設会社が生まれたわけです。

父は30年
会社を営み、私を育ててくれました。

私が父のあとを継いで30年
愛のある建設会社を続けてきました。

私に社長を譲ってくれたとき、
父は私に言いました。

「お前は会社を大きくしてはならない。
会社を大きくするのは、
アホにもできるが、
大きくなった会社を小さくするのは、
アホには出来へんから」

わけのわからないアドバイスでしたが、
いまになると、
ちょっとわかる。

父よあなたは強かった、
私はあなたの息子でよかった。

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