真面目は禁止
へそ道のふーちゃんの親友、
斎藤一人さんの名代、舛岡はなゑさんとお会いしました。
光り輝く方でした。
きらきらの衣装やお化粧も輝いていましたが、
生き方がピカピカでわくわくがそばにいるだけで伝わる、
白光のエネルギーの女性です。
私の大好きな一人さんは、
ほとんど人前に出られません。
本を読んだり、講話を聴くことで、
一人さんと繋がることが出来ますが、
お弟子さん、しかも名代と触れると、
エネルギーが直につながるから素敵ですね。
はなゑさん曰く
「一人さんはね、真面目と真剣は禁止よ」
そう聞くと、真面目や真剣がダメだと思う人があるかも知れませんが、
真面目だ、真剣だというところには、笑いや潤いが無く、
砂漠のような世界だから、裁くのでしょう。
砂漠で裁く・・・これは面白い
ま、
それはさておき、
イエスは言いました
「人を裁くな、裁かれないために」
真面目な人は、自分の気に入らない人を裁きます。
心が乾き、不毛な、潤いのない砂漠です。
そこには実りはありません。
裁くことが問題というわけではありません。
そういう想いは知らず知らず湧きあがるものですから。
私などテレビに文句言って、いつも妻に
「へんなじいさんみたい」と言われています。
人を裁いて、許せない、許せないと怒っているより、
「そんなこともあるよね~」と、笑っている方が楽です。
「正義」や「使命」はとても大切なものであり、
人として絶対に必要なものです。
でも、
「正義感」や「使命感」は要らないと私は思います。
正義感が強い人、
使命感が強い人、
人を許せません。
それは、生きるのを苦しくさせます。
私は、友人の牧師先生に洗礼を受けて牧師になることを勧められたことがあります。
しかし、教会に入って使命感で説教をすることを想像すると、息が苦しくなりました。
それで、
使命感のない「聖書漫談師」というジャンルを勝手に作ったのです。
生き方を提案するとか、世の中を変えたいとか思っていません。
イエスキリストが生まれても世界は平和になっていないのですから、
そんなつまらないことで苦しい生き方をすること自体、
神さまに対して失礼だと思うのです。
神さまは、私たちが楽しく生きて、
誰かを喜ばしていることが嬉しいのですから、
私たちが喜んでいないでどうする!?って感じですね。
「正義感」や「使命感」を捨てて、
許容範囲を広げ、
いかに喜ぶかに人生をかけましょう。
喜べば、
喜びごとが喜んで
喜び集めて、
喜びに来る
さあ、今日はサッポロで昼夜二回講演。
天童よしみ歌謡ショウみたいだか、
二回講演ともに満席だそうです。
宇宙に感謝の量を増やしましょう!
来る人に楽しみを、
帰る人に喜びを!!
だから、これでいいのだ!