知覧、万世、そして鹿屋へ
目の前には桜島が見えます。
標高180メートル、城山の中腹に立つこのホテル、西郷隆盛終焉の地として知られています。
幕末の様々な歴史を秘めた鹿児島に来ると、ヤマト人として命が沸き立ってくるのを感じます。
毎年、今日の日は、伊勢の神宮月次祭であり「伊勢の風を感じる会」のために伊勢へ通っていました。
10年を区切りとして、その会から離れ、
また主催させていただいてきた12月月次祭の「神話を体感する会」も次の主催者にお委ねして一切離れる事とさせていただきました。
本来なら伊勢にいる時間でしたので、
今年は違う行動を取ろうと鹿児島に来たわけです。
まずは知覧、平和祈念館。
英霊たちの遺書を、一通、一通、丁寧に読ませていただきました。
彼らが願った未来の日本は、本当に今の日本の姿でいいのかどうかと、私自身も自問自答する時間であります。
また今回、初めて万世の特攻基地を訪ねました。
知覧から車で40分、南さつま市にあります。
子犬を抱いた少年兵の写真がとても有名です。
実はこの写真、知覧のシンボルのようになっていますが。、彼らが飛び立ったのは知覧ではなく万世の特攻基地だったのです。
わずか4ヶ月だけ特攻に使われた基地です。
子犬を抱いているのは17歳の荒木幸雄伍長。
この写真は出撃の2時間前に撮られた写真であります。
これから死に行く少年兵の笑顔に、涙こぼれます。
知覧と違い、訪ねる人もない万世平和祈念館。
ここに私を呼んだのは、荒木伍長の横にいる早川勉伍長だと感じました。
18歳で散華された早川さんは、三重県の出身者です。
ここも忘れずに覚えて、伝えてくれと早川部長の声が聞こえます。
今朝はこれから鹿児島市内を出て、鹿屋にある海軍の特攻祈念館に参ります。
あの戦艦ミズーリに体当たりした19歳の石井さんとご挨拶して参ります。
そして今夜は大隅半島内之浦に向かい、我が師糸川英夫博士の御霊と対話してこれからの道を見つめてみたいと思います。
「僕の命は明日で終わる。
生きたであろう残りの人生を、
未来の君たちに託す」
一通の英霊からの手紙。
これを目にしたあなたも、託された一人です。
ともに、やまとこころのキャンドルサービスを、
灯り人として、点してください。
日本よ永遠なれ!と祈りを込めて