赤塚高仁ブログ

神話を体感すること

2017.12.17

 小倉で30名ほどの兄弟姉妹と「聖書」を読んでいます。
キリスト教の教会ではありません。
ほとんどのメンバーが、生まれて初めて聖書を開く・・・
そんな仲間と聖書を学ぶことの意義を改めてかみしめます。

 聖書は、ユダヤ人が書いた神からのメッセージであり、
神の霊の結晶であると言ってよいでしょうか。
ユダヤの民の中からキリストイエスが誕生します。
もうすぐ来るクリスマスは、
キリストの誕生を祝う記念日です。
世界中70億の人類の誰もが、2017年前に生まれた一人のユダヤ人を知っている。
すごいことではありませんか。
彼が一体何を伝えたのか。
キリストとは何か。
そのことを記した聖書を知ろうという試みです。

 昨日は、旧約聖書「創世記」の始まりを話しました。
あっという間に3時間が過ぎて、まだまだ聖書の入り口ですが、
今日は、モーセ、ダビデを紹介して、
イエスを迎えたいと思います。
使徒パウロが伝えた「キリスト」とは何かという聖書の真髄に迫ります。

 日本人には縁の遠いものと思われている「聖書」
ローマやギリシャの文明を経由したから、ユダヤの知恵が汚されてしまったように思えます。
やまとのこころで聖書を読むとき、キリスト教の教会では見えない風景が見えます。
イエスが大和魂のサムライであることがわかります。
キリストが聖霊の愛であり、天皇の大御心であることがわかります。

 そして聖書に満ちているのが神の言葉、神の話、神話であることを知るとき、
神話は、学ぶものではなく体感するものであることに気づきます。

 頭から御霊、アタマからミタマへ。

教会に行ったこともなく、
神学を学んだこともない、
工務店の社長が北九州に遣わされる。
そこに、各地から集められた魂の兄弟姉妹が、
生まれて初めて聖書を開く。

 何が起こっているのか、いまはよくわかりません。
でも、いいことが起こっているのだという感じがあります。

そのよき知らせを信じて、今日も三重の工務店の社長は語ります。
私たち一人一人が、神の子であること。
そして、
私たち一人一人の身体は、神の宮であること。
だから、
私たちは外側に神様を探しに行かなくてもいい、
うちなる御霊の輝きを現していこう。

 誰かにならなくていい
 何かにならなくていい
 どこかに行かなくてもいい
 いま
 ここ
 自分に帰って来ましょう。

私たちはひとつ
すべてはひとつ

 あなたはわたし
 わたしはあなた

わたしたちはひとつ

 だから、これでいいのだ

 せっかく生まれてきたのですから、
誰かのために命をつかって、
喜ばれる存在となって、生き終えたいですね。

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