赤塚高仁ブログ

糸川先生との再会

2017.06.17

1962年2月設立以来数多くの観測ロケットが打ち上げられ、またわが国初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げた内之浦宇宙空間観測所を訪ねました。
何度目でしょうか、
私にとってとても懐かしい場所です。
今では町村合併によって内之浦と言う地名はなくなり、肝付町と言う名前に変わっています。

2003年5月、あの太陽系探査機はやぶさの打ち上げに立ち会わせてもらったのは生涯忘れられない大切な思い出です。
発射台からわずか350メートルのところで体験した巨大ロケットの発射の衝撃は、全身が金縛りにあったような筆舌に尽くしがたい体感でした。
1秒間に1トンの燃料を燃やして宇宙に飛び立つ巨大な銀の龍、見上げながら涙がこぼれて仕方がありませんでした。

新しい発射基地をつくろうと、北海道は襟裳岬から太平洋岸を日本中探してまわった糸川先生が最後に見つけた場所だとお聞きしました。
陸の孤島と呼ばれていた大隅半島内之浦。
山道を走るのを嫌がったタクシーの運転手に代わって、運転手席に座らせ自分で3時間運転してやってきたという糸川先生の情熱に感動するのです。

1970年2月11日、世界で4番目になる人工衛星「おおすみ」の記念碑の横に、太平洋を見つめる糸川英夫の銅像が立ったのは2012年11月11日のことでした。
私にとって、この場所とイスラエルのネゲヴ砂漠にあるベングリオンのお墓が糸川英夫と対話する聖地なのです。

「前例がないからやってみよう」と最後の最後まで冒険を続けた糸川英夫の人生を想うと胸があつくなるのです。
私も冒険を止めず走り続けたいと願わされてなりません。

冒険をするために必要なのは、才能や肩書や地位や名誉やお金でもなく、ただ少年のような好奇心があれば良い。
あくなき探求心と燃える情熱があれば良い。
そして「手のひらはもらうためより上げるため」だよ。
利他の心で生きるだと、糸川先生は語りかけてくださいます。

そんな思いを新たにさせてもらえました。

糸川先生の銅像に刻まれている言葉です。

「人生で最も大切なものは、
逆境とよき友である」 糸川英夫

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