赤塚高仁ブログ

聖書がわかると世界が観える

2017.12.15

初めて私に聖書を伝えてくれたのが糸川英夫博士でした。
ロケット博士がどうして聖書?
初めは全く分かりませんでしたが、29歳の私に糸川先生が言われたのは、
「聖書はキリスト教の経典ではありませんよ。人類の知恵の書物です」

この教えから私の新しい歩みが始まったと言っていいでしょうか。

やがて私は、学問ではなく、知識でもなく、
宇宙創造のエネルギーの霊感の書として聖書が迫っ
てくる体験をします。
シリアのダマスカスでパウロの声を聞いたり、
エルサレムや、ガリラヤ湖畔でイエスキリストの幻を見せられたりもしました。

 それでも私は、教会に通ったり、キリスト教の信徒になったりはしませんでした。
神学や知識が欲しいのではありません。
神の声に聴き、本当に大切なことを知りたいと願ったのです。
ユダヤ人であったイエスの教えは、ギリシャ、ローマの西洋文明に毒されて、
聖書の教えは変質してしまいました。
だからこそ、聖書の海に深く潜ってゆき、聖書はどのように真理を伝えようとしているか、
イエスは何を語ろうとされたのか、感じることです。
それを、やまとのこころで受け止めてきたのが私の聖書です。

糸川英夫博士の聖書の学びから30年、
聖書が生まれたイスラエルにも18回導かれました。
これまで600名ほどの仲間をイスラエルに案内し、現地で聖書を語りました。
足の裏で読む聖書と私は言っていますが、机の上には答えなど無い事は誰もがわかっています。
現地で聖書を読むと、ガリラヤの水が、吹く風が答えを運んでくれるのです。

ところで、
今世界を動かしているのは聖書です。
アメリカ合衆国の大統領の宣誓式にも聖書に手を置いています。
あれは、リンカーンが使っていた聖書です。

 学問で信仰が生まれることはありません。
知識を仕入れたら知的満足はあるかもしれませんが、
人が変わるとき、それは知識ではありません。

アタマで生きていると、できる、できないと
常に判断します。

私は、どんなものも永久に続くことはないと
思っています。
どんなことも変化します。
何もかもが移り変わります。
だから、私たちも絶えず変化しなくては
ならないのです。

学ぶ、ということは、変化です。
学んだ唯一の証しは「変わる」ことです。

わかる は かわる、です。

学んだことで、自分は変わります。
昨日まで信じていた価値観から抜け出せます。

旅出るのも、学びの場に参加するにも、時間を生み出す努力が必要です。
その努力が、時間を生み出す練習になります。

でも実は、学びは難しいです。
実は、
自分が理解できることや、興味を持てることの中には、あまり学びはありません。
なぜならそれは、自分の既知を肯定するだけの行為だからです。
学ぶためには、変化の勇気が必要です。
変化したくない人は学べません。

でも、変化しなければ本来あるべき自分の場所にはたどり着けないと思うのです。

それこそ神の恩寵。
このギフト受け取って、一歩前の道を歩く。

「前例がないからやってみよう」

「知ってる、持ってる、それできる」の世界から、
「やってる、動いてる、それを生きている」世界へ。

聖書を少しでも理解できた時、
新しい風景が見えることは間違いありません。
明日明後日、二日間の集中講義で聖書を近づける特別講座を北九州小倉で開催します。

 神学も学んだことのない、クリスチャンでもないものが聖書を講義するのです。
「学んだこともないのに、なぜ教えられるのか」
そうでしょう、宗教的知識は学ばなければわからないでしょう。
しかし、
私には伝えなければならないことがあるのです。

 「いまもありありと生きて働いておられるキリストの霊よ、
 どうぞあなたが私を通し、一人ひとりの魂にふれて、直接おしえてください」

そう、祈りながら今日まできました。
そして、明日からもそうしてゆくでしょう。

 「神様、私は取るに足らない土のかたまりに過ぎませんが、
 どうぞ私に祈りを与え、言葉を出させてください。
 私たちを浄め、高めてください。
 どうかなすべきことを教えてください」

 北九州聖書塾は、聖霊に満たされた場となります。
 感謝です。

 

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