聖書の言葉
建築会社のおやぢが、
聖書携えて日本中駆け巡るのか、
本当のことはまだわからない、というのが本音です。
しかも、
教会にも通ったことなく、
神学の勉強もせず、
洗礼も受けてない日本人が、
聖書を語るのですから、
クリスチャンには不快かもしれないですね。
でも、
聖書こそ、万国民の智慧の書であり、
一切の宗教を統合する「キリスト」を伝えるもの。
キリストとは、ヘブライ語で「メシア」
日本語では「救世主」という意味です。
旧約聖書4000年
新約聖書2000年
時を超えてやって来た言葉は、真実です。
いつか人は自分の言葉に出合う。
自分が蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない。
起こったことには意味がある。
裁くな、裁かれないために。
憎むものを許せ。
聖書の言葉はみな宇宙の法則ですが、
まず知ることですね。
週末の聖書講座でお話ししたのですが、
どんなにたくさん勉強しても、
たくさん講演会を聴いても、
セミナーに通い続けていても、
本を何冊も読んで知識が頭に入ったとしても、
それで人生は変わらないのです。
資格や認定証をいくつ持っていたとしても、
それだけでは使えない。
勇気を出して、
一歩踏み出し、行動して、
人と出会い、
いい人間関係を築けて、
感動して、
感動を与えることができて、
自分を好きになって、
人を愛せて、
人から愛されて、
当たり前こそ奇跡だと喜び、
そんな豊かさを有り難く思えるようになったとき、
勉強や知識が血肉になったのですね。
口に入れるものではなく、
口から出すものであなたは汚れる。
批判も嘘も、
悪口も策略も、
体に悪いものを食べるようなものです。
そして、どんなにとりつくろっても、
美辞麗句を並べても、顔に出ます。
目に現れるのです。
人相が全てを語ります。
言葉を大切に扱っている人の言葉には、
愛があり、思いやりがあります。
邪心がなくきれいな目をしています。
いい顔して
今週も歩きましょう。