良く思われたい欲
とにかく小さいころから、人前に出るのが苦手でした。
そういうと、
「えーー冗談でしょう」
と、
言われるようになりましたが、
本当のことです。
そんな人間が「人生が変わる聖書漫談師」と名乗っているのですから、
人生というものは本当に変わるのですよ。
さて、
かつての私は
人前で話す状況を思っただけで、ドキドキするし、めまいがしそうでした。
「みっともない」
「人にどう思われるか」
緊張で手が震えます。
無意識のうちに両親から植え込まれたトラウマになっていたのでしょうか。
だから、心配したのだと思います、結果がどうなるか。
また、結果が悪かったら、親をがっかりさせてしまう。
そして、その悪い結果を自分でコントロールできないという恐怖。
人がどう思うか・・・それこそ、人の心の中のことですから、自分がコントロールできません。
良く思われたいという欲、うまくやろうという欲、
これらが、心をカチカチにしてしまい「緊張」という状況に追い込みます。
自分でどうにもできないことは、心配しないことですね。
開き直って、思い切って、ありのままの自分を出し切る。
その場で、できることを精一杯やってみる。
講演が終わるたびに、「ああ、あれも言わなかった、あれも言えなかった、あそこはこうするべきだった・・・」
始まる前には、「こうでなければならない、こうしなければいけない・・・」 思考が駆け巡ります。
でも、もういいのです。
そのときには、そのことが精一杯だったのですから。
還暦を過ぎた私なら、大学受験に失敗し、浪人していた頃の自分に対していろんなアドバイスができます。
飛島建設に入社したばかりの自分に、言いたいこともあります。
やめておけばよかったことも、やったほうがよかったこともいっぱい思い浮かびます。
でも、もういいのです。
そのときには、そのことで精一杯。
だから、いま、ここに心を取り戻すのです。
人は、
過去の自分には天才的になるけれど、
今と明日の自分には永遠に迷える子羊なのです。
実は、うまくやろうという欲は、未来の不安とつながっています。
うまくできなかったらどうしようという、心配です。
ネガティブな感情が、あたかも今 自分を支配している気になるのです。
いま、ここには不安も後悔も存在できません。
「どうぞ、神様、私の願うことではなく
あなたが私に願ってくださることを為させてください」
ずっとそう祈ってきました。
何が起こってるのか、誰にもわかりません。
いいことが起こるようにただ願うだけです。
もちろん今でも人前に出るのは苦手だし、
緊張します。
緊張したまま出ていきます。
そして、そのときの場の空気が丸くなるように、
参加してくださった人たちと創り上げる一度限りの聖なる芸術の創造です。
緊張しなくなったら、
講演はやめます。
うまくできた自分も
うまくできなかった自分も
全部抱きしめて許しましょう。
人生はほんとうに素晴らしいのです。
二度とない宝物のような「今」を喜びましょう。
心配は悪魔のささやき
喜びは天使の歌声です
追伸です。
ティアナのCDあとわずかとなりました。
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