英霊に感謝を
伊予西条での「建国記念の日 奉祝大会」
講演会も多くの人に来ていただけて、感謝です。
日本に生まれた喜びをかみしめる、ありがたい一日となりました。
どうか
近い将来、
2月11日が、「建国の日」「建国記念日」
できれば「紀元節」
と、名を変えて記念されるように祈ります。
そして、すべての日本人の家々に
日の丸が掲げられて、祖国の誕生を心から祝えますように。
ところで、
去年の5月、イスラエルの建国記念日を体験しました。
イスラエル全土に満ちる建国の喜びを体感することができたことは、
貴重な体験となりました。
西暦73年、マサダの最後の戦いでイスラエル国は亡び、
1948年再び建国されるまで、ユダヤ民族は流浪の民となりました。
国がないということがどういうことなのか、
私たち日本人にはわかりません。
なぜなら、
国があるのが「当たり前」だと思っているからです。
「当たり前」は「ありがとう」の反対です。
当たり前は「感謝」がない世界です。
失ってから気づくのでしょうが、それではもうとりかえしがつきません。
魚に水が見えないように、
日本人に日本が見えません。
イスラエル建国記念日の喜びを体験したことも大きいのですが、
建国記念日の前日のイスラエルを知ったことが衝撃でした。
ユダヤの暦は月の暦、そして、聖書にあるように
「夕が来て、朝となった」一日の始まりが日没からなのです。
日没から日没までが一日です。
建国記念日の前日の日没と同時に、イスラエル全土に響き渡るサイレンの音
空襲警報かと思ってびっくりしましたよ。
国が生まれるにあたって、独立戦争がありました。
また、国を護るために3度の中東戦争がありました。
一度でも敗れたらイスラエル国はありません。
その戦いで命を落とした英霊たちのことを忘れない。
建国記念日の前日は、イスラエル国は喪に付すのです。
国のために命を捧げてくれた英霊に感謝をする。
すべての公共機関、お店、一切がクローズ。
TVもバラエティー番組など放送することなく、
追悼番組一色です。
我々旅人は、アラブ人の店を探して食事などをします。
ユダヤを通してヤマトを発見するというのは、
とても大切なことだと私は思っています。
靖国神社に参拝するということは、
日本人としてあたりまえの人の道だと私は思います。
それを、
戦争賛美だとか理屈をこねる人々を、可哀そうに思うのです。
彼らは、ゴーンと同じような故郷をもたない根無し草だからです。
改めて、日本に生まれたことを幸せに思います。
そして、日本のためにお役に立ちたいと願わされてならないのです。