記憶の丘
エルサレムに記憶の丘という場所があります。
ヘブライ語で、
「ヤドバシェム」
ユダヤ人は言います、
「記憶は贖いの秘訣であり、
忘却は流浪を長引かせる」
国をもたなかったユダヤ人は、
世界各地に流浪の民として暮らしていました。
しかし、
迫害され、追い出されることもありました。
愛する祖国もなく、
身を寄せる国を愛することも許されず、
ユダヤ民族は歴史の中を生き延びてゆきます。
「選ばれた民」として、彼らは神との契約を守り、
生きてゆくのですが、
ときにそのことが他民族との衝突を生むこともあったのです。
ユダヤの独自性、
それが、迫害の原因になってゆきました。
自分と違うものをみとめない、
いわゆる「いじめ」です。
誰の心の中にもある、
そんな闇の部分。
戦争という極限状況の中で、「いじめ」は爆発します。
ナチスドイツという独裁政権がユダヤ人撲滅運動を開始して、
やがて効率よく「処理」するための、
収容所という名の殺戮センターが造られ、
ヨーロッパにいるユダヤ人は捕えられ、送り込まれてゆくのです。
人種差別をする白人至上主義キリスト教の世界の人々は、
有色人種を家畜以下とみなし、ユダヤ人を害虫を駆除するかの如く殺しました。
アウシュヴィッツのガス室で使われたのは、シラミの駆除剤、殺虫剤で窒息死させたのですから。
いえ、
誰が正しくて、何が悪いと言いたいのではありません。
加害者だ被害者だという感情論を持ち出すつもりもありません。
記憶の丘に来るたびに思うのは、
ヒットラー一人がやったことでもなく、
ナチスドイツのせいでもなく、
ホロコーストは、「街角の声」
私たち一人一人の心の中にある問題だということなのです。
もちろん、
キリスト教という宗教がなければ、
あれほどまでにユダヤ人が殺されることはなかったでしょう。
主イエスキリストを十字架につけたと、キリスト教徒はユダヤ人を憎みます。
ローマカトリックは、
ヒットラーのユダヤ人殺しを容認しています。
ヒットラーはクリスチャンでした。
改めて、
天皇のシラス国、日本に生まれたことをありがたく思います。
人種差別をしない日本
宗教戦争をしない日本
奴隷のいない国、日本
記憶の丘・ヤドバシェムはいつも私たちに大切なことを思い出させてくれます。