返事は0.2秒、ハイかイエスか喜んで!
30歳になったばかりのころですから、かれこれ30年ほど前のことです。
はがき道の坂田先生のお話を聴く機会がありました。
ながしま荘という三重県の施設で、能力開発の勉強会のときだったと思います。
私は私で、はがきや手紙をよく書く方だと思っていましたから、
坂田先生の「複写はがき」のことを知って質問しました。
「先生、どうして複写にするのですか?
手紙なんていうものは、この世に一枚きりだから尊いのだと思うのですが?」
すると、坂田先生は
「あんたはね、書かんでええよ」
え?・・・
「やらん人は、質問する権利がない。
やった人は、質問する必要がない」
おそらくあのとき、丁寧に複写はがきの説明をされたら、
複写はがきについては知ることが出来ても、書き始めることはなかったでしょう。
私は、その日から複写はがきを書き始め、手元に1万枚以上の控えが残っています。
今見ても凄いものだと思います。
その時を確かに生きた証しであり、遺書であり、紙の墓と呼んでもよいかも知れません。
1枚当たり約150文字。
相手様の名前を刻んでから書き始める文章は、まさに祈りです。
こうして今も毎朝ブログが書き続けられるのも、
複写はがきに鍛えてもらったおかげだと思えますし、
鍵山秀三郎さんと深くご縁いただけ、シリアの旅に出ることが出来たのも、
はがき道のおかげです。
「どうして複写はがきなんですか?」
という、質問以来、私は「なぜ」と人に聞かなくなった気がします。
純粋な好奇心、子どものような心で聞くのはよいかも知れませんが、
ほとんどの場合、問いかけること自体が否定なのです。
「あなたはどうして○○なの?」
これは、質問のように聞こえますが、
気に入らない、という意味です。
「質問は否定」なのです。
「この出来ごとにはどんな意味があるのでしょう?」
と、聞く人があります。
出会いにしても、苦しい出来事に対しても、
あるいは、喜びごとがあっても
「どういう意味が?」と、意味づけをするくせがあったとしたら、
それはすべてを否定し、拒否しようとしているのですから、
運命は変わらないどころか、何もよくはならないでしょう。
中村文昭さんが口癖のようにいっている
「頼まれごとは試されごと。
返事は0.2秒、ハイかイエスか喜んで」
現象に意味はない。
人生に意味はない。
からっぽ
だからこそ、人生を肯定する。
「イエス」で生きる。
やらない人は質問する権利がない。
やった人は質問する必要がない。
「赤塚さん、どうしてあなたはイスラエルに行くのですか?」
ここ最近一番多い質問ですが、
いまだに私もわからない。
理屈はいっぱい並べられます。
でも、
分からない・・・情熱の向こうに何があるのか、わからないからもう少し行ってみようと思います。