赤塚高仁ブログ

通夜に向かいます

2017.11.07

29年間のご縁の中で、
愚痴
泣き言
不平
不満
文句
悪口
一度も口から出るのを聞いたことがありません。

マンダラ手帳の開発者、
松村寧雄先生は実践の人でした。

仏陀の智慧、八正道を実践し続けた方でした。
「すごいですねー!」
「いや〜いいですね〜〜!!」が、
口癖でした。
一緒にお酒を飲んでいるだけで
心が強くなる氣がしました。

あるとき、私が大きな仕事を決め、
その発注者とコラボの講演会を開催したとき、
松村先生も招待したのでした。
東京から津まで来てくださいました。
その夜、松村先生は

「赤塚さん、
この仕事はお断りしなさい。
あなたが付き合うべき相手ではない」

私はすでに6000万円の現金を手付として受け取っていました。

「耳を揃えて返しなさい」

私は、ハイと従い、
お金を返し、静岡まで仕事を断りにいきました。
すごく怒られました。
訴えるのだけは許してやる、
と何とか断れました。

そのあと私の代わりに請け負った静岡の建設会社は倒産に追いやられました。
テレビやマスコミにも取り上げられてた有名人でしたが、
いまや行方わかりません。

「いいですね〜〜」
と豪快に笑う松村先生は、
アドバイスも何もありませんでした。

「いやー、赤塚さん
あなたの会社をあなた以上にわかる人いませんからねー。
やりたいようにおやりなさい」

29年間毎月会費払ってますよ。
指導してくださったの一度きり。
でも、その一度は命懸けのアドバイスでした。
億の仕事を断ってこい、という。

新幹線は東京に向かって走ります。
まだ信じられない私がいます。
先生が笑って迎えてくれるような氣がします。

松村先生東京初めて出会ったとき、
先生は49歳、私が29歳。
そのときのことは、昨日のことのように覚えています。
大人で、貫禄のある方だなぁと思いました。

松村先生、
私はいつの間にか、あのときの先生の歳を10も上回ってしまっています。
ちっとも大人になれません。
もう少し一緒に旅したかったです。
この世の旅路を。

先月、虫の知らせでしょうか、
先生に会いに行きましたね。
病気で伏せっておられるとお聞きしていたのに、
背広を着て待っていてくださいました。
顔面の骨を削るという過酷な手術の後だと言うのに、
痛い
辛い
苦しい
一切不平不満愚痴泣き言こぼさず、
「赤塚さんと会うと元気になるねー」と
動かない口で言ってくださいました。

先生の最後の言葉です。

先生、先生
先生みたいになりたいよ。
通夜の会場に着くまでに涙も枯れそうです。

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