闇に降りて・・・光を生きる
親友とか兄弟とか
何となく言葉では言い表わせない、
ええヤツ、
出路雅明が10年前に始めた
「Live PEP フォーラム」
1クール6回
半年を16回続けて終わりました。
行動科学研究所の岩田静治先生、順子先生、
洋治先生、尚子先生、
お世話になりました。
京都で同窓会、新年会がありました。
何かが一つ終わるとき、
新しい何かが生まれようとしています。
終わること
終わらせること
そこには大きなエネルギーがあります。
出会いも
別れも
大いなるエネルギーのクロスロード
すべての源である
エネルギーを取り戻すとき
私たちは
創造的に生きることが
約束されているのです。
エデンの園で
知恵の実を食べたとき
人には「名前」なんて
ありませんでした
「知恵」は、分離世界の始まりです。
「私」という錯覚が生まれ、
「苦しみ」が始まりました。
聖書のメタファーは、
ひとつからの分離と帰還
分離の終焉への物語が繰り返し
繰り返し描かれているのです。
私は、
聖書塾でその読み解きを伝えたいのです。
ずっと愚痴や、泣き言、
文句を言っておられる方の共通点は
「自分のことしか考えていない」です。
人生の苦しみの9割以上が
「自分について考えること」ですから、
それは苦しいことでしょう。
私も一カ月精神病院に入院し、
うつ病を患い数年間
のたうちまわった者として思い起こすと、
入院患者で人のことを思いやる人は退院してゆき、
自分のことで一杯の人たちは、
病院に居続け、病気に留まるということですね。
病気でいる間、
人から注目され大事にされるという自己重要感を高めてしまうと、そこから離れたくなくなります。
だから、病気が治りません。
いいえ、治りたくないのです。
それに気づいたとき
病気は終焉へと向かいます。
病身であっても
病気ではいられなくなります。
PEPの師匠
岩田静治先生の言葉を紹介します。
「闇に降りて、光を生きる」
人は光にふれることで希望を持ち
希望によってもちこたえ
もちこたえることで
あるとき、突然立ち上がり、
カルマの回路から抜け出る。
光は闇の中かくれている。
闇は光を隠しているが、
光を覆い尽くすことはない。
人は自分の闇に気づくことで光への第一接近を始める。
エネルギーが鬱になり、
ホルモンのバランスが崩れ
副交感神経が失調し、
やる気が消え失せ
自殺さえも思うとき、
あなたは光への第一接近を始めている。
人を責める一方で、
そんな自分を嫌悪し
いままでの価値基準が音を立てて崩壊するかの如く感じるとき
あなたは光への第一接近を始めている。
出来ない理由を並べ立てて、
あらゆる可能性を否定し
未来を占ってもらうために、
正解を外に、他者に求めて歩き回り
生きていく不安に麻酔をうちこみ、
生命感覚が麻痺している時
あなたは光への第一接近を始めている。
親しかったひとに裏切られ
身近な人から金銭を奪い取られ
なぜ私がこんな目にと
嘆き、怒り、悲しむとき
あなたは光への第一接近を始めている。
光への第一接近は、
エネルギー意識の目覚めである。
低いレベルの自我に挨拶し、
生きること、死ぬことへの恐怖を見据え
じゃじゃ漏れしていたエネルギーに気づき
これを取りもどし始めるとき
あなたは光への第一接近を始めている。
幸いなるかな、
闇に降りて、
光を求め、
光に触れ、光を生きる人は」
私たちの正体は、光です。
光がないところを闇と呼びます。
だから、光の前に闇は消えます。
闇は光に勝たないのです。
天照大神の分け御霊である、
私たちの本来を生きましょう。
楽しいから笑うんじゃない、
笑うと楽しくなるのです。
仲間たちと盃を交わして、
先斗町で歌って、
ホテルに着いたらもう朝でした。
生きていることの懐かしさを、
何にも言わなくても分かり合える仲間を、
私は友と呼びます。