赤塚高仁ブログ

鳥濱トメさんの玉子丼

2019.10.02

 「知覧の母」として知られる
鳥濱トメさんの富屋食堂は、
出撃する特攻隊員が最後の晩餐をしたということで有名です。

映画にもなっているので、
多くの日本人に知られています。

明日の朝飛んで行く若い兵士が、
最後に食べたのは、

トメさんの玉子丼

鰹出汁と砂糖と醤油の割り下、
トメさんのレシピ。

今ではトメさんのお孫さんに伝えられて、
知覧で食べることはできると、
聞いたことがありましたが、
トメさんが亡くなり、
いつしかそのレシピは門外不出となり、
誰も作ることのない幻の玉子丼となっていました。

さて、
時は流れ、
靖国神社創建150年を迎えるにあたり、
外苑の茶店の整備事業が行われることになりました。

縁が縁を呼び、その茶店に玉子丼のお店を出店することになったのが、
私の好きな茅場町の熟成寿司「不二楼」総大将の高取宗茂氏。

 「たかとり・むねしげ
 1971年東京都生まれ。 5歳で地元佐賀に帰る。
 1986年に家業が倒産、18歳で単身福岡天神に渡り、
 所持金7円から屋台を引き始める。
 23歳で不動産業に進出。 
 ・・・・現在、総合商社、マルチブランド展開で様々な飲食店を
 多店舗経営し国内外で幅広く活躍」

そうそうたるプロフィールで、
茅場町のお寿司屋さんも紹介者と一緒でないといけないし、
大将からホットラインの電話番号書かれた名刺をもらえない限り、
予約させてもらうこともできません。

また、
予約できる権利を得ても、
ほとんど席が埋まっていて、カウンターに座れるのは宝くじに当選するような確率。

そんなお店の、
そんな総大将と、
不思議なご縁をいただけたのは、
目に見えない巨きな力に運ばれたのかも知れません。
ご英霊の導きとも思えます。

ところで、
この世で、これほどの成功を収めることができたのに、
なぜか高取さんの胸の中に、埋めることのできない隙間があって、
ずっとそこに風が吹いていたのだそうです。

「この世で本当に自分がやるべきことは何だろうか」

靖国神社の外苑の再整備で、茶店ができる・・・
ならば、いつまでも歴史に残る店、
歴史を伝えていける店にできないものだろうか。

そこに鳥濱トメさんの玉子丼が出せないだろうか・・・
特攻隊員が最後に食べたそのままのレシピで!

 幾多の困難を経て、その思いが現実になりました。
高取さんは、靖國神社開門から閉門まで鳥濱トメさんの玉子丼を作り続けます。

レシピはトメさんのご遺族から許され、そのときのそのままで。
食材はすべて知覧から取り寄せる。
そして、
富屋食堂に5つだけ残っていた、特攻隊員が実際に使った弁当箱の一つを譲り受け展示する。

「赤塚さん、食べてみてもらえませんか。
 寿司屋で玉子丼もないですけれど」

弁当箱を触らせてもらいました。
細胞が思い出しています。
若き特攻隊員が使った弁当箱です。

玉子丼の甘さに泣きました。

トメさんが自分の財産をはたいて手に入れてくれた砂糖や卵。
隊員たちも泣きながら食べたことでしょう。

人生最後の玉子丼。

 令和
靖国神社の外苑茶店 
「靖國八千代食堂」

10月10日グランドオープン

男は、甘い玉子丼に人生を捧げます。
彼の心の中に吹いていた風は止み、
力と
勇気と
希望の光を放つ国士として靖国に立ちます。

やまとこころのキャンドルサービス
玉子丼で

参拝の際は、玉子丼を
肉体を持たぬご英霊のために、
私たちがしみじみ味わいます。

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