赤塚高仁ブログ

龍泉寺の若き住職

2017.06.06

岩手県山田町にあるわが親友のホテルにて朝を迎えました。
晴れ渡る空、澄み切った空気、少しだけ寒い、
ここは東北です。

何気ない当たり前の朝を迎え、これから支度をして花巻空港まで3時間ほどでしょうか、三重に帰ります。
でも、6年前の3月11日、この地ではすべての当たり前が失われてしまいました。
今も、海の前には巨大な壁が築かれて、景色を遮り、失われた住宅の跡に仮設の建物が立ち並んでいます。

「赤塚さん、岩手に来れませんか?」

我が盟友船井勝仁からの電話を受けたのは、私がエルサレムにいる時でした。
道路が急に封鎖され、私が乗っているバスが1ミリも前に進めなくなり、一体これはどうしたことだろうとやきもきしているその時でした、電話が鳴ったのは。
こんなときの彼の電話は、いつも天啓とも言える大切な連絡。行くしかありませんよね、と鞄から手帳取り出して予定を見ようとした私の目の前を米国のトランプ大統領が通って行きました。
トランプさんとも挨拶したかったのですが、かっちゃんとの電話が優先です。笑)

さて、 勝仁さんが私に紹介してくれたのは、山田町にある龍泉寺の住職、石ヶ森桂山さん。
44歳、曹洞宗の僧侶です。
竜泉寺は海岸から山に向かってゆく静かな里にあります。
海にさらわれませんでしたが、寺はいくつもの傷を負いました。

「昨日まで笑っていた仲間が、突然海に連れ去られ、そして変わり果てた姿で帰ってくる。私は、寝ることも食べることも忘れて、来る日も来る日も戒名考え葬儀をやり続けました」

桂山さんは、人々の魂の救済のために、己の命を差し出す宗教者としての真の姿を見せてくださいました。

「桂山さんがいなければこの地にホテルを作ることなどしなかった」と、目に涙浮かべながらポツリと言う友の姿を私は誇らしく思います。

龍泉寺は、ペリーが浦賀に黒船でやって来た時には建っていました。
我が国の財産とも言える寺であり、日本復興のシンボルとなるべき大切な聖地です。

「本堂を修復し、そこに光冷暖を入れたいのです。
赤塚さん力を貸してください!」

ザ・フナイで光冷暖のことを語った私の記事を読んで、それで勝仁さんからの連絡につながったというわけです。
なるほど、冬場の暖房器具としてつけてあるエアコンといくつもの石油ストーブの乾燥で、江戸時代からのケヤキの柱がひび割れ、そこに虫が巣食っているではありませんか。

確かに光冷暖は、遠赤外線による輻射熱なので、空気を乾燥させません。
建物にも人にも優しい究極の冷暖であるのは間違いありません。
でも、マイナス15度にもなる岩手、しかも江戸時代の建物に導入できるか・・・

「赤塚さん、真冬におつとめをしてると、熱いお茶を御供えして、20分もすると凍ってるんです。だから、せめて1度くらいになったらありがたい」

やってやれないことはない
やらずにできるはずがない!

龍泉寺の復興が我が国の目覚めとなると感じました。
これぞ、光冷暖によるやまとこころのキャンドルサービス。

桂山和尚が命がけで守ってこられた大切なことを我が盟友が受け止め、私に伝えてくださり、私の魂は震えました。

世界中のバックパッカーが山田町の龍泉寺を訪ね、聖地となり、座禅を組んで日本を知る。
やがて国の補助がなくなるとき、ここに人がやって来てお金を運んでくれる仕組みづくりにもなるでしょう。

光冷暖も日本中、世界に広がります。

勝仁さんありがとう。
桂山さんを紹介してくれて。
よき友と出会えた日は、誰かが決めた祝日よりも大事な人生の記念日。

そしてまた今日は桂山さんの誕生日。

御住職、生まれてくださってありがとう。
そして、私と出会ってくださってありがとう。

聖なる約束、いま新たな章に入りました。

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