来月号のにんげんクラブの原稿 その1
ヤマト人への手紙 第五章 赤塚高仁
「神話から神の民へ」
さて、神がアブラハムに対して約束されたとき、さして誓うのに、ご自分よりも上のものがないので、ご自分をさして誓って、「わたしは、必ずあなたを祝福し、必ずあなたの子孫をふやす」と言われた。
このようにして、アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。
信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。
信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。
このようにして、ひとりの死んだと同様な人から、天の星のように、海べの数えがたい砂のように、おびただしい人が生れてきたのである。
信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。
この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 新約聖書 ヘブル人への手紙
ユダヤ民族の始祖、アブラハム
旧約聖書「創世記」の物語は、天地創造、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの箱舟、バベルの塔と続き、アブラハムが登場します。
ノアから数えて十代目くらいの子孫で、ユダヤ人の始祖ともいえる人物です。
このアブラハムが、まだユーフラテス河沿岸の通商都市、ハランに住んでいた時のことです。
ある日、突然、神からこう言われます。
「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、私の示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう」
この言葉に従い、アブラハムはそれまで住んでいた大都市ハランを離れ、妻サラと甥のロト、従者らを連れてカナンの地に出発したと書かれています。
高度に発達した文明都市ハランを出たアブラハムは、砂漠の真っただ中で天幕での生活を始めました。
ネゲブ砂漠で、アブラハムは神との対話を続け、環境に適応するため智慧を磨いてゆくのです。
逆境こそが魂を成長させる宝だと聖書は教えます。
アブラハムはやがてロトと別れ、砂漠を転々としたのち、ヘブロンに落ち着きます。
彼の天幕は、東西南北、四方に入口があり、アブラハムは旅人がどの方向からやってきても客人として迎え入れ、尊敬と親愛の情で接待しました。
アブラハムは、物欲、私利私欲を離れたリーダーとして偉大な族長となってゆくのですが、彼には、子供がいませんでした。
驚くべきことに、アブラハム百歳、妻サラ九十を過ぎて神によって子供、イサクが恵まれます。
ところが、やっと授かった息子イサクを生贄に差し出すよう、神はアブラハムに命じます。
アブラハムは、神の命に従い、イサクとモリヤの山に向かうのです。
ネゲブ砂漠からエルサレムのモリヤの山まで、愛する息子との三日の旅の間、彼の心はどんなだったことでしょうか。
このときのアブラハムの信仰心こそが、ユダヤ人と神との約束につながってゆくのですから、ここを魂で読むところに聖書の醍醐味があります。
一切をご存じの神と人間との大いなる試練でした。
彼らが、神の示された場所に来た時、「お父さん、火と薪とはありますが、燔祭の子羊はどこにありますか」と聞くイサクです。
ついにアブラハムは祭壇を築き、イサクを縛って薪の上に載せ刃物を執って愛するひとり子を殺そうとします。
すると、「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を畏れ敬うものであることを知った」と、神の声が聞こえ、振り向いてみると角をやぶにひっかけている一匹の雄羊が備えられていました。
こうして、アブラハムは、信仰の始祖となっていったことが聖書に記されています。
そして、この二千年後にこのアブラハムの系譜から生まれた、イエスというひとりのユダヤ人が人類の歴史をも変えてしまうことになるのです。
わずか三年間、地上で神の国を説いた人の子イエス。
神は、ひとり子を給うほどに人を愛し、人と新しい契約を結んでくださいました。
彼の誕生から、西暦という新たなる時が刻まれ、それまでの神との約束を新たにして「旧約から新約」の世界になったのです。