日本武尊 その2
小碓尊の九州平定
次の景行天皇の御代に、九州に反乱があり天皇は、第二皇子小碓尊に命じてこれを征伐させられました。
皇子は十六歳、大君の勅命を受けて熊襲の国にゆき、調査をすると反乱の首謀者は川上タケルという強力な者で、とても皇子の一行が太刀打ちできるような相手ではありません。
そこで、蟻一匹入り込むのも困難なようなタケルの砦が完成した祝いの宴の賑わいに乗じて、皇子小碓は、敵陣にたった一人でのり込んでゆきます。
着物を着、化粧をし、変装して乙女の姿になって、女の中にまじって給仕をしたのです。
なんとタケルは、この小碓が女装した乙女が大層気に入りそばに引き寄せて酒をしたたか飲み、小碓はもっと飲ませ、川上タケルは鼾をかいて寝てしまいます。
夜も更け、人も散じてゆき、邪魔者が入らないと確かめた小碓は、隠し持った刀で切りつけ、深く刺し貫きました。
たった一人で敵地に乗り込み、自分の命を奪おうとしている小碓に対して川上タケルは、その智慧と勇気と力に感嘆して、薄れゆく意識の中、遺言のように小碓に言います。
「お前のような勇敢な男はみたことがない。できることならば力を合わせて国を作りたかった。しかし、今となればそれは叶わぬ。せめて今後、俺の名をとって日本武尊と名乗ってくれ。そして、ヤマトを背負ってゆく男となってくれ」と。
川上タケルは、武将たちに日本武尊に手を出してはならないと命じ、以後大和朝廷には逆らわないことを約束して息絶えたのでした。
日本武尊と倭姫
九州を平定した日本武尊は、お帰りの途中でも各地の反乱を平らげて、大和に凱旋されました。
ところが、父である景行天皇に認められ、褒められることを心待ちにしていた武尊を待っていたのは、東国への遠征の勅命でした。
生きるか死ぬかの戦いの連続である、明日をもわからない遠征を休む間もなく命じられるとは、父君は自分が死ねばいいと考えているのかと、武尊は悩み苦しみます。
東国への出陣を前にして、武尊は全軍を率いて伊勢神宮に参拝した後、単身、叔母に当たる倭姫を訪ねてゆきました。
父とのつながりもわからず、父の気持ちも知ることもできぬまま、ただの武将として死地に赴いてゆくことの苦悩を倭姫にぶつける武尊でした。
すると、倭姫は愛する甥に諭すように話しました。
天皇の地位を継承するということは、大君の息子に生まれたから自動的に皇位が継がれてゆくというものではないということ。
自分というものを一切捨てて、真に無私の心にならなければ国民の父としての天皇の実存に近づき、触れることはできないということ。
何よりも、心を鬼にして後継者としての武尊を育てようとしておられる大君の願いを、倭姫は武尊に語って聞かせたのでした。
武尊は、目が覚めました。
東征は、単なる東国の成敗ではなく、さまざまな体験や、死地を潜り抜けて真のスメラ尊の魂を継承するための修行の旅なのだと覚悟が決まったのです。
武尊の回心を喜んだ倭姫は、「な、怠りそ」、決して油断をしてはなりませんと念を押し、
二つのものを手渡しました。
一つは、小さな袋に入った火打石。
もうひとつが、三種の神器のひとつである天の叢雲の剣でした。
この剣は、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治したとき、その尾から見つけ、天照大神に献上したものです。
天がどれほど日本武尊に希望を託したかが、伝わってくるようではありませんか。