人には誰もその人だけの特別な日があります。
1999年2月21日未明、我が人生の師である糸川英夫博士は、天に帰っていかれました。
とるものもとりあえず車で信州まで走ったあの日のことを、
昨日のことのように思い出します。
先生と過ごした10年が、ちぎれながら溢れてきて、
車の中で泣けて泣けて仕方がありませんでした。
「前例がないからやってみよう」
それが糸川先生の口癖で、常識に縛られない思考は眩いほどでした。
そんな先生についてゆけず、去ってゆく人も多かったですね。
去ってゆく仲間に、
ほんの少しだけ淋しそうに笑いながら、それでも前進する糸川先生でした。
視点が違う、
視座が違う、
発想が違う、
独創力がとてつもなく、
スピードが速くて、
過去の自分にとらわれず、
行動の人でした。
ある時、先生の御宅の居間に飾られている皇居での写真、
(勳二等瑞宝章叙勲のときのもの)を見た私が、
「先生、勲章というもの見せてもらえませんか?」と言うと、
「あれ、どっかいったよ。
あんなの持ってても役に立たないからね」
これだけでもビックリなのですが、
しばらく経ったある日
「赤塚さん、勲章押入れにあったよ」と出してくださいました。
ズッシリと重い七宝焼きの勲章、手にとってしげしげと眺める私に、
「持ってく?」
まさかもらって帰るわけにはいきません。
でも、今だから言うと、
先生が捨てたものの中に、航空自衛隊から表彰された楯を見つけてもらったことあります。(時効)
糸川英夫という人がいなければ、今の自分は存在しない。
糸川先生は、真の愛国者でした。
そして最後に言ってくださった一言、
「自分で考えなさい」 を胸に抱きしめて生きてきた私です。
未常識を常識に、
夢をカタチに。
さあ、その記念日に私は新潟にゆきます。
まだ未常識の「水素のお風呂」を日本全国に届けるため。
まだ見ぬ仲間に出会うため。
待っていても人生の扉は開かない。
今日も行動します。
大勢が言う「常識」よりも、
自分の中でささやく「静かな呼びかけ」を信じて。
自分で決めて!
へば、行って参ります!