にんげんクラブ 第8章その2
祖国の滅亡
愛国者であったイエスは、イスラエルの滅亡を予言し、泣きました。
その予言通り、イエスの死後四〇年経った紀元七〇年エルサレムの神殿が破壊されました。逃げ延びた九六七人のユダヤの民が、死海のほとりにあるマサダの砦に立て篭もりました。
自然の要塞でもあるマサダは、大きな貯水槽を備え、農耕までできる自給自足の砦であり、当時の武器である岩の大砲の弾も造りだすことができたからです。
さて、それに対するローマ軍は一万人。
ユダヤ人を奴隷に使いローマ軍は、周りの山を削り、マサダの頂上向けて土を盛り、三年がかりで路をつけてきたのです。
ついに明日にはローマ軍が侵入してくる・・・。
その夜、指導者エリエゼル・ベン・ヤイールは、男たちを集めて演説しました。
「ローマ軍に殺されることや、捕虜となって辱めをうけることよりも、唯一の主なる神に命を捧げ、ユダヤ民族の誇りを護るため自決の道を選ぼう」と。
まず男たちが家に帰り、家族を殺しました。
その後もう一度集合し、くじ引きで十人が選ばれ残りの仲間を刺し殺しました。
それから、二人一組で相手を殺し、最後のくじ引きで選ばれた一人が残った仲間を殺し、自害して果てました。
翌朝ローマ軍が三年間の鬱憤を晴らそうと、虐殺に息を弾ませ要塞に乗り込んだとき、そこで目の当たりにした壮絶なる光景に息を呑みました。
決して、飢えや絶望で死んだわけではありません。
食料は、十年分の蓄えがあったそうです。
水も四万トンの貯蔵、武器も山積みにされていました。
これらの事実は、水を汲みに行って洞窟にいた二人の女と、物陰に隠れていた五人の子供によって明らかになったのです。
この時以来、イスラエルは人類の歴史から姿を消し、ユダヤ民族は国を失い、世界の各地に散らされていきました。
流浪の民
国を失い、流浪の民となったユダヤ民族がたどった歴史と哀しみは、国を亡くしたことのないヤマト人に到底理解できるものではありません。
ヨーロッパ各地で、ユダヤ人だというだけで迫害されるという歴史が重ねられてきました。
そんな中で、一八九四年ヨーロッパに起こった反ユダヤ運動で、国を持たない民族の苦しみを見たハンガリー生まれのユダヤ人、新聞記者だったテオドール・ヘルツェルは、一週間飲まず食わずで六四ページの論文「ユダヤ人国家」を書き上げました。
「ユダヤ民族は、自分たちの国を持たなければならない」そう叫ぶヘルツェルに親友は泣きました。
「ついにヘルツェルは気が狂ったか!」と。
するとヘルツェルは「この俺の燃え盛る熱をどうする。この俺を水に投げ込め。俺が鉄ならこの身は鋼に変わる」と友に言いました。
一八九七年スイスのバーセルで第一回世界シオニスト会議をヘルツェルが開催したのは、彼が三七歳のときでした。
「もしあなたがたが望むなら、それは神話ではない!」彼はそう叫び、その日の日記にこう記しています。
「今日、私はバーセルにユダヤ人国家の基礎を置いた。五十年後に世界はその事実を知るのだ」と。
ヘルツェルは、世界中を駆け巡って過労による肺炎により四十四歳で死にました。
その後第二次世界大戦時、ナチスによって六百万人のユダヤ人が収容所に送り込まれ、虫けらのようにガス室で抹殺されたのです。
ただ、ユダヤ人だというだけで、虫けらのように殺されたのです。
戦争で殺されたのなら、戦争が終わればその迫害は終わります。
しかし、還る国を持たないユダヤ人は、迫害の中、ガス室へと追われ命を奪われていきました。
ユダヤ民族は、自分たちの国を持たなければならないと強く強く願わされたのです。