日本武尊 その3
日本武尊ヒガシヘ
武尊が、駿河に参られた時、反逆する豪族の謀略にかかります。
鹿狩りのために野に入ってゆかれた武尊でしたが、敵は枯れ草に火を放ち野を焼き、武尊を焼き殺そうとします。
愛する妻、弟橘姫と離れ離れになった武尊は、弟橘、弟橘と名を叫び、探しまわります。しかし、見つけた時にはもはや火に囲まれ一巻の終わりか・・・そのとき、伊勢での倭姫の言葉を思い出した武尊。
「窮地に陥ったとき、この二つがそなたを救ってくれるでしょう」
武尊は、自分たちの周りの草を天の叢雲の剣で薙ぎ払い、火が燃え移らぬようにしたあと、袋から火打石を取り出してその草に火をつけました。
すると、急に風向きが変わり火が敵を焼き払ってゆくではありませんか。
そのときから、その剣は草薙の剣と呼ばれるようになり、焼き討ちにあったその地は焼津と名付けられたのでした。
武尊の大和軍は、陸路を避けて三浦半島の先の走水から浦賀水道を越えて海路、千葉の南に向かってゆきます。
ところが、先を急き、気持ちが高ぶっていた武尊は謙虚さを失い海神の怒りをかってしまうのです。
突然の大嵐に、船はもはや風前の灯です。
海神の怒りを鎮めるには、生贄を差し出すしかありません。
見ると武尊の愛する妻、弟橘姫が荒れ狂う海に向かい手を合わせ飛びこもうとしています。
「尊さま、相模の小野で私を燃える火の中から救い出してくださいました。
どんなに嬉しく幸せだったことでしょう。
今度は私がこの命を尊さまのために捧げさせていただくときです。
どうか、ヤマトの統一という悲願を果たし、大君のためにはたらき、そして、偉大なスメラミコトとおなりください」
弟橘姫は、着物を翻して荒れ狂う海に飛び込みました。
やがて海は、鎮まり、凪ぎ、黒雲は去り、大和軍は岸に着きました。
行軍を続けなければならない武尊でしたが、去りがたく海を眺めるばかりでした。
君去らず・・・その地は木更津と呼ばれるようになり、翌朝、姫が来ていた着物の袖が流れ着いた浜は、袖ヶ浦と呼ばれています。
ヤマトのたましい
弟橘姫が、日本武尊のために命を捧げた走水に、走水神社があり姫が祀られています。
神殿を越えて高台に上ると、石碑があり弟橘姫が最期に詠んだ詩が刻まれています。
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも」
明治四二年に建てられた石碑の裏側には七名の建立発起人の名前があります。
その中に東郷平八郎、乃木希典・・・日本を護った軍神の名もあります。
弟橘姫の姿に、ヤマト人の真のたましいのあり方を見たのでしょう。
日本武尊は、東国を平らげて大君の待つ大和へと帰る途中、近江の伊吹山で重体となられ、大和を目指すもついに伊勢の国、能褒野までたどり着くともう足が三重に折れて立ち上がることもできず、そこで息を引き取られました。
私が住む場所が、三重と呼ばれるのもそこからきています。
命かけてヤマト統一を目指した日本武尊の陵は、亀山にあり、今も静かに我が国を見守ってくださっています。
若くして天翔けてゆかれた日本武尊の念い、魂で受けとめたいものです。