赤塚高仁ブログ

にんげんクラブ その3

2014.02.21

希望

世界の各国に建国の物語があり、歴史があり、国旗があり、そして、国歌があります。
多くの国歌は勇ましく、国民を鼓舞するような曲調です。
例えば、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の一番の歌詞はこうです。

「行こう 祖国の子らよ栄光の日が来た!
我らに向かって 暴君の血まみれの旗が 掲げられた
血まみれの旗が 掲げられた
聞こえるか 戦場の残忍な敵兵の咆哮を
奴らは我らの元に来て我らの子と妻の 喉を掻き切る!
武器を取れ 市民らよ
隊列を組め進もう 進もう
汚れた血が我らの畑の畝を満たすまで!」

また、中華人民共和国国歌「義勇軍行進曲」も実に驚くべき歌詞なのです。

「起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ!
我らが血肉で築こう新たな長城を!
中華民族に最大の危機せまる、
一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。
起て!起て!起て!
我々すべてが心を一つにして、
敵の砲火をついて進め!
敵の砲火をついて進め!
進め!進め!進め!」

一九七八年に正式に中国国歌となったこの歌が、どうして驚くべき国歌かというと、元々この歌が映画の主題歌であったということ。
そして、その映画は一九三五年に作られた「風雲児女」という抗日映画だったということなのです。
したがって、この国歌に繰り返して叫ばれる「敵」というのは、日本です。
国歌の歌詞の意味を知る時、その国の考え方や、民族の心までもがうかがい知れるようです。
そんな中で、哀愁を帯びた趣の全く違った短調の旋律が胸に迫る国歌が世界に二つあります。
一つは、ヤマトの国歌「君が代」
そして、もうひとつがイスラエル国歌「ハティクバ(希望)」です。

 「われらの胸にユダヤの魂が脈打つ限り、
われらの眼が東の彼方シオンに向かって、未来を望み見ている限り二千年我らが育み続けてきた希望は失われることはない
その希望とは、我らが自由の民となって
祖国シオンとエルサレムの地に住むことだ」

世界に散ったユダヤの民が、同胞で交わす挨拶は二千年の間
「来年、エルサレムで!」
国を持たない民族が、世界各地に散り、ユダヤの民としての歴史とアイデンティティを失わず生き延びていたことが奇跡的なことなのかも知れません。
彼らは、こう言い伝えてきました。
「忘却は流浪を長引かせ、記憶は贖いの秘訣である」と。
第二次世界大戦ののち、ユダヤ人たちは約束の地、シオンを目指し還ってゆきます。
不毛の地を買い増しながら、荒野に挑み、開拓し、住まう場所を広げ生きてゆきました。
そしてついに一九四八年五月十四日、テルアビブにある小さな家で、初代首相となるダビッド・ベングリオンは建国宣言をしました。
あのバーセルのシオニスト会議から五十一年目のことです。
ヘルツェルの預言は成就しました。
独立宣言の後、涙と共に歌われた「ハティクバ」がイスラエルの国歌となったのです。

「感謝」の反対は「当たり前」

国があるのが当たり前だと思う人に、国家に対する感謝など生まれないでしょう。
「君が代」を歌わない自由がある、などと平気な顔をして発言する日教組のアホ教師たち、国があるのは当たり前なのでしょうか?
民族の歴史と民族心を失った民族は、必ず滅びるとユダヤの預言者は教えています。
異邦人の中に入ってゆくと、三代もすると溶けてなくなってしまうヤマト人。
ユダヤの民に学ばなければなりません。
魚に水が見えないように、ヤマト人には日本が見えないのかも知れません。
建国以来二六七四年、一度も滅びることもなく、植民地にされることもなく、いまもこうして存在する尊きヤマトの国。
この国の存在こそが、世界の灯明台、希望ではないでしょうか。
ヤマトが滅びれば、世界は滅びるのかも知れません。
目を覚まさなければならないときが来ているようです。

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