にんげんクラブで4/19講演します
島を守ってくださった神様
ペリリュー神社の石碑にこう刻まれていました。
「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ・米太平洋艦隊司令長官 CWニミッツ」と
米軍上陸の直前に島民を避難させ、自らは玉と砕けた日本軍将兵たちは、島の住民にとって「英雄」だったのです。
戦い済んで島民たちがペリリュー島に戻ってみると、そこには海に水漬き、山に草生した一万二千の日本兵の屍がありました。
米国は米兵の遺体を収容しました。しかし、我が国は英霊たちの遺体を顧みることはありませんでした。
島の日本人墓地は、日本人がこんな姿を見たらかわいそうだと、ペリリューの島の人たちが、日本兵の遺骨を拾い集め、葬ってくれたものです。
墓標には、ゼロ戦のプロペラもありました。
島の酋長はこう言っておられます、「この島に眠る日本軍の将兵の御霊は、私たちの島を守ってくださった神様だと思っています。
私たちが立派に守ります。どうぞ御安心ください」と。
中川大佐が自決した洞窟には、今も花が絶えることがないのです。
島の人たちが弔ってくださっているのです。
英霊たちは、観光団ではありません。
祖国日本のために戦い、大切な人、大事なことを守るため日本から遥か離れた南の島で死んでいかれたのです。
どんなにか帰りたかっただろう、ふるさと日本に。
英霊たちの願いは、今日本の人々に届いているでしょうか。
ジャングルを歩くと、草の中に大きなかたまりがある・・・朽ち果てた零戦です。
主翼にうっすら日の丸が見えます。主脚の錆を落とすと銀色に輝くジュラルミンが出てきました。
コックピットを覗き込むと、そこに座っていたであろう若いパイロットの笑顔が脳裏に浮かんだような気がしました。
みんなでふるさとを歌いました。
上島先生のことを思い出しながら歌いました。
「志を果たして、いつの日にか帰らん」未だ帰れぬ数千の英霊たちの念いが一気に胸に飛び込んできてみんな泣きました。
パラオの国旗
今から二十年前にパラオが独立する時、国旗を定めなくてはなりませんでした。
全島から募集したところ、七十点ほどの秀作が集まりました。その中で、選ばれたのが青地に黄色い丸、月章旗と呼ばれるデザインです。
この旗に決まったのは、日の丸に一番似ていたからなのです。
周囲の青は海を意味します。日の丸の部分が黄色いのは、月を現します。
月は太陽がないと輝くことができない、つまり、月は太陽によって支えられて生命を持つのです。
太陽と言うのは、日本のことです。パラオの人々は、戦争中に日の丸を掲げ、強力な米軍と戦った日本軍に尊敬を捧げ、日本に心から感謝してくれています。
一万もの英霊たちは、勇気と国を思う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだからです。
パラオの国旗を広げると、月の丸が中心からずれているのがわかります。
日いずる国の日の丸に対する敬意と愛情が胸に沁み込んでくるではありませんか。
私たちが祖国を誇らなければ、祖国のために命を捧げてくださった英霊たちに申し訳が立ちません。