詩篇46
もろもろの民よ、これを聞け、すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。
低きも高きも、富めるも貧しきも、共に耳を傾けよ。
わが口は知恵を語り、わが心は知識を思う。
わたしは耳をたとえに傾け、琴を鳴らして、わたしのなぞを解き明かそう。
わたしをしえたげる者の不義がわたしを取り囲む悩みの日に、どうして恐れなければならないのか。
彼らはおのが富をたのみ、そのたからの多いのを誇る人々である。
まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。そのいのちの価を神に払うことはできない。
とこしえに生きながらえて、墓を見ないためにそのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、それを満足に払うことができないからである。
まことに賢い人も死に、愚かな者も、獣のような者も、ひとしく滅んで、その富を他人に残すことは人の見るところである。
とい彼らはその地を自分の名をもって呼んでも、墓こそ彼らのとこしえのすまい、世々彼らのすみかである。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない、滅びうせる獣にひとしい。
これぞ自分をたのむ愚かな者どもの成りゆき、自分の分け前を喜ぶ者どもの果である。
彼らは陰府に定められた羊のように死が彼らを牧するであろう。彼らはまっすぐに墓に下り、そのかたちは消えうせ、陰府が彼らのすまいとなるであろう。
しかし神はわたしを受けられるゆえ、わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。
人が富を得るときも、その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、その栄えも彼に従って下って行くことはないからである。
たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、またみずから幸な時に、人々から称賛されても、
彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。彼らは絶えて光を見ることがない。
人は栄華のうちに長くとどまることはできない。滅びうせる獣にひとしい。
おそらく3000年ほど前、イスラエルの王、ダビデが詠んだものでしょう。
イスラエルの歴史上、もっとも偉大な王様、ダビデ。 その子孫から、イエスが生まれるのです。
まぁ、その王様のなんともはや切ない叫びでしょう。
聖書を読んで、本当に人間と言うものはどれほど時代が移っても、変わらないものだと思わされます。
でも、なかに本当に真理に生きる人が登場します。
まわりの人たちの中で、苦しみながら「ほんとうのこと」に気づき、そのことに生き、そのことを伝えて生き終えます。
その人たちの共通点は、人生はこの世では終わらない、永遠の生命の中で人は生かされているのだということをハラワタの底から信じてるということです。
信じてると言うのは簡単なのですが、それを生きるのは容易ではありません。
知ってる、 持ってる、 それできる・・・ そこから一歩前に、 もう一つ上の次元に! 願い、祈りつつ今日も生かしていただきます。