にんげんクラブ その4
ヤマト人の始祖、神武天皇
神武天皇は、初めは日向においでになりましたが、ヤマトの国中いくつもに分かれて相争っているのをご覧になり、神様との約束をこの地上に実現するためにこれを統一して立派な国家にしなければならないとご決心されました。
宮崎の御美津からお船出され、宇佐(大分)、岡田の宮(福岡)、タケリの宮(広島)、高島の宮(岡山)などを経て浪速(大阪)に入り、河内から生駒山を越えて大和(奈良)へ入ろうとした時、強力な敵の抵抗にあって一時撤退されます。
その際、重傷を負われた兄・五瀬命は亡くなります。
神武天皇は「我は日の神の子孫でありながら、日に向かって戦ったから天罰を受けた。神を敬い、太陽神を背に負って戦うなら必ず勝利するだろう」と示され、熊野から上陸して奈良に向かったのです。
そのとき、ゴトビキ岩(にんげんクラブ九月号表紙)で雄叫びの祈りを捧げ、天からの聖霊を受け無私の人になられました。
道なき道を歩む時、アマテラスから遣わされたヤタガラスの案内に救われて宇陀(奈良)に入りました。
各地で豪族たちを平定して、ついに強大なナガスネヒコをも撃ち平らげましたので、橿原において即位され初代天皇となられたのでした。
神武天皇のヤマト国家建設は、今から二六七三年前のことですが、それは、ヤマト民族が神武天皇の御指導により、天皇を中心として、神との御約束である天壌無窮の神勅の理想に向かって踏み出したことを表しています。
それまでもヤマトの民族は存在し、起源は遠い遠い昔にさかのぼることでしょう。
東北地方には、一万年におよぶ縄文の文化の足跡が残されています。
しかし、神武天皇の国家建設によって、ヤマト民族の意思が統一され、神の国を地上に顕すという大きな出発がなされました。
そして今なお神武天皇の御子孫は栄え、その皇統は連綿としてつながり、一二五代に至っていることは、人類の歴史で全く類なきことなのであります。
われらに要るものは
私たちは、ヤマト人です。
ヤマト人を生んだのは、ヤマトの歴史です。
それは、私たちの先祖から受け継いだものです。
日本は、これから世界の灯明台となるべき使命を担っていると言っていいようです。
なぜなら世界で唯一、神の約束が途切れずに二千六百年以上にわたって生きている奇跡的な神の国だからです。
正しいヤマト人になるために、占領下で大きく曲げられてしまった歴史の真実を知り、今こそこれを受け継がなくてはなりません。
歴史が私たちを問い詰めています。