赤塚高仁ブログ

8.6 Hiroshima

2017.08.06

 何度も呼んでくださっている名古屋講演会で、戦艦ミズーリに突入した石野節雄さんのことを話しました。

鹿児島の鹿屋から飛び立った零戦は、250キロの爆弾を抱えて2時間以上かけて、
沖縄までやってきます。
護衛もない特攻機は、米軍機の餌食となりほとんど沖縄にたどり着くことはありませんでした。
しかも、米軍艦隊の艦砲射撃は熾烈を極め、
特攻機一機に対して4トンの弾が撃ち込まれたといいます。
その雨あられと降り注ぐ弾をかいくぐり、石野さんの操縦する零戦は米戦艦ミズーリに激突しました。
しかし、
爆弾は不発、機体は海に沈み、
石野さんの上半身がちぎれて、甲板に転がったそうです。

 岡山県出身の19歳、石野節雄二等飛曹
その勇敢さを称え、ミズーリのウィリアム・キャラハン船長は米国海軍の儀式にのっとり、
英雄として水葬としました。
赤と白の布を徹夜して縫い上げ作った日章旗にくるんで・・・

 真珠湾にある戦艦ミズーリの右舷後方には石野節雄さんの零戦がぶつかった跡があり、
彼の水葬様子が記されています。
私は、現場でそれを見るまで知りませんでした。

私たちは、本当のことを知らない。
それは、
本当のことを知らされていないからです。

 19歳の特攻隊員が、命に代えても守ろうとしたものは何だったのでしょうか。
「犬死」
「無駄死に」
そんな風に言われたら、天界にいる英霊たちはどんな思いがするでしょう。

 自分の未来を後に来るものに託し、笑って死んでいった若者を侮辱することは許されません。

石野節雄さんの声が聞こえます、
「僕たちを可哀そうだなどと言わないでください。
 よくやったと言ってやってください」

 名古屋講演での私のすぐ後ろに石野節雄さんがいるような気がしました。
そして、それを会場の誰もが感じられるようなひとときででありました。

 名古屋を後にして、広島へ向かいました。
今朝は広島駅前のホテルでこのブログを書いています。

今 6:15になりました。
72年前の今日、2時間後の8:15
人類の歴史の中で、決して忘れてはならない無差別の大量殺人兵器が使われました。

 広島でその日に講演会開催してくださる主催者に心から敬意を表します。
そして、魂の底から感謝します。

祈りを込めて伝えたいと思います、
一瞬にして天に引き上げられた十数万の無辜の人々のヤマトへの思いを。
数十万の、いや億兆の同胞たちの日本への愛を。

 どうぞ神様、私が願うことではなく、
 あなたが私に願ってくださることを、私に為さしめてください。
 イエスキリストの名前によって祈ります。

新幹線で広島に向かう途中で、こんなことを思いました。
もしも、
私が、
72年前の8月5日の広島にタイムスリップして、
人々に広島から逃げてください! 広島から逃げてください!と叫んだとして、
誰かその声を聞いてくれるだろうかと・・・

 我が師、糸川英夫が叫び続けた
「日本が危ない」という声が、いま強烈に私の心の中で響くのです。

 明日が当たり前にやってくるという保証は、どこにもありません。
72年前の今日、広島に原爆が落とされました。

 記念碑にある
「安らかにお眠りください
  過ちは繰り返しませぬから」
ということばに、
「米国は過ちを繰り返しませぬから」
と書き加えてもらえないでしょうか。
誰が犯した過ちなのかわからない文章です。
「全人類の問題です」と私に言う人がありました。
とんでもない!
原爆は米国の犯罪です。
もしも、アウシュビッツにこんな石碑を立てたら、
世界中のユダヤ人は激怒するでしょう。
日本人も
民族の誇りを取り戻しましょう。

 当たり前のように、今日も目が覚めたことに感謝します。
これから呉に向かいます。
今日のこの日に「やまとこころのキャンドルサービス」をさせてもらえること、
魂いっぱい感謝します。

 神様ありがとうございます。
 どうか、伴ってください。
 どうぞ、導いてください。

 「日本よ永遠なれ」と祈ります。
アァメン

 

 

PAGE TOP