初メニススム
あの日からちょうど一か月が過ぎました。
あっという間に時が流れてゆきました。
いろんなことがあった一月でした。
怒涛の日々と言っていいでしょうか。
何が一番大事なのか? ほんのちょっと静かに観察したくなりました。
発信を止めて、少しばかり内側を見つめ直したくなりました。
伝え方が大事だとおしえてくださった方もありましたが、本当にそうでしょうか?
伝え方ばっかり教えられても、肝心の伝える方の程度の方がもっと大事です。
つまらないものを伝えたところで喜ばれません。
伝え方の前に、本当に伝えるべきものなのか そっと見つめたほうがいいようです。
全国の大勢の方から、心配してメールをいただきました。
病気になったのか? 事故に遭ったのか?
いろんなこと思ってくださったまだ見ぬ友達に感謝します。
中には、顔を見るなり泣いてくださるお方もありました。
「心配していました、毎日ブログを見るのが日課になっていましたのに、
急に更新されなくなって、一体何があったのかって」
東北から一目会いたくてと、車で来てくださった方もありました。
毎日読むのが楽しみだったと言ってくださいました。
更新されないからどうしたのか、もう一度始めて欲しい・・・それを一言云いたくてと・・有難いです。
想像以上に伝わっていたブログという発信装置に感謝します。
1000日は、必ず更新し続けよう・・・そう思って書き続けていましたが、 ちょっと残念
950日の少し前で中断してしまいました。
でも、力をぬいてもう一度初めの一歩を思い出してみます。
さて、ちょうど一か月前の今日、皇居勤労奉仕に私は仲間たち二十八名で出かけました。
初日は、赤坂御所清掃で、皇太子殿下がお出ましになり、団長である私に、「日頃はどのような活動をされているのですか?」とお声をかけてくださいました。
「戦後失われてしまった日本の歴史を神話から学び直すために古事記を読んでおります」とお答えすると、「どうか身体に気をつけてご活躍ください」と言ってくださいました。
その涼やかな眼差しに、「殿下もどうぞお健やかにお過ごしください」と申し上げると、「ありがとう」とお応え下さったのです。
次の日、皇居の清掃では、なんと天皇・皇居両陛下が御会釈にお出ましくださいました。
私の目の前に両陛下が立ち止まり、お言葉をかけてくださったのです。
「三重県ですね、遷宮の後はいかがですか?」と。
何とお答えしたかさえ覚えていません。
両陛下の輝くオーラ、その光に包まれる至福の体験でした。
天皇とはこのようなものだったのですね、その御存在が光そのものです。
自分の人生の中で、こんなことがおきるなんて想像だにできませんでした。
しかし、事実です。
そのうえ私が代表して、両陛下の至近距離で、天皇陛下、皇后陛下万歳を三唱することになったのです。
「天皇陛下、皇后陛下」と申し上げると私の目を見つめてくださる両陛下。
そのとき、締め切った部屋の中に風が吹きました。
確かに、霊の風が吹いたのです。
私は、はらわたの底から「万歳!」と叫びました。
これが、天皇さまか!
理屈はすべて吹き飛びただ、かたじけなさに涙こぼれました。
後ろに控える私の仲間も、各地から集った奉仕団の皆も泣きながら万歳三唱しました。
中には、感激のあまり気を失った者もいました。
宮中三殿の澄み切った気配も、ありありとやまとこころに刻んで帰って参りました。
日ごとに国民ひとりびとりの幸せを祈ってくださっている天皇・皇后陛下の御存在にただただ感謝が湧いてなりません。
この一月の間に、ホンマにいろんなことがありましたし、いくつもの会から脱退もしました。
縮んで、また伸びる・・・また、このブログとお付き合いのほどよろしくお願いします