赤塚高仁ブログ

MR J

2015.11.11

 これを何と読むのでしょうか。

「ミスター ジャパン」だったりして・・・
 離陸の瞬間を映像で見て、涙こぼれそうになりました。
国産初のジェット旅客機です。
 日本の希望を乗せて青空にとけていきました。
飛行機に命をかけ、名機と呼ばれた陸軍の戦闘機「隼」を設計した、
我が師、糸川英夫。
糸川英夫設計の「鍾馗」戦闘機は、戦後その性能の凄さに米国が驚いたそうです。
こんな飛行機、アメリカでは作れない、と。
まともな燃料も、パイロットもない中で生み出された飛行機です。
究極のプロペラ機、鐘軌戦闘機は力を発揮せぬまま戦争は終わりました。
糸川英夫の飛行機もここで終わりました。
 ポツダム条約を飲まされた日本は、一切の航空機の開発製造を禁止されたからです。
 
飛行機=糸川英夫  
飛行機を作れないのなら、生きていても仕方がない。
飛行機を愛した糸川先生は、死のうとします。
しかし、目の前の頼まれごとを必死で応えてゆくうちに米国で「ロケット」に出会ったのです。
そしてわずか23センチのペンシルロケットから、世界への挑戦が始まりました。
それが、太陽系惑星探査機「はやぶさ」へとつながってゆき、
ターゲットの小惑星の名前は「イトカワ」と名付けられました。
 愛国心のカタマリ
日本の将来を憂い、日本が世界をリードすると預言して、
1999年天に還った糸川英夫先生。
 天から きっと見ておられますよね、糸川先生。
日本初のジェット旅客機。
   零戦の遺伝子を継ぐ三菱の飛行機。
糸川先生がいた中島飛行機のスバルも頑張って!  
 隼の遺伝子を継ぐジェット機を作って欲しいものですね。
私も、日本のために新しい街を造ります!
住めば住むほど元気になる究極のECOの街を。
 
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