CDのリリースに寄せて
人生というものは、思いもよらないことが起きるものですね。
以前から本を書きたいとは願っていましたが、
その本が、音楽になるとは思いませんでした。
運命とは、
人が運んでくれる私の命。
出逢いが生み出すものだと、
改めてしみじみ噛み締めます。
矢吹紫帆・矢中鷹光夫妻とのイスラエルツアーが、
また新しい風を吹かせてくれました。
「ヤマト人への手紙」の13章の物語が音楽になったのです。
やまとこころのキャンドルサービス、新しい扉が開きます。
CDのリーフレットに書き下ろした文章を掲載します。
是非、音霊も聴いてください。
11月10日 桑名で発表されます。
「組曲・ヤマト人への手紙」に寄せて
ポーランド、アウシュヴィッツ近くの宿で、この序文を書いています。
国を失ったユダヤ民族がどのような運命をたどったのかを目の当たりにし、国があることが当たり前ではないという事実を改めて知らされました。
無数の国々が興っては滅びて行く中で、2600有余年にわたり国家が続いている日本は人類の奇跡です。
魚に水が見えないように、日本人には日本が見えません。
今から72年前、第124代昭和天皇は、日本国のみならず世界平和のために終戦の御聖断を下されました。
しかし、国土は焼け野原と化し、人々は住む家もなく、食べるものもなく、着るものもありませんでした。
310万人というヤマトの民が命を失い、外地で終戦を迎えた人々も640万人いました。
何もかも失い、着の身着のままで祖国に帰ってきた同胞たちはまだしも、満州、北朝鮮ではソ連による暴行、略奪、殺戮、強制収容など悲惨を極めました。
国内でも、寒さの夏で不作のうえ、働き手がなく米がとれません。
そこに外地からの引き上げ者がやってきます。
冬までに一千万人が餓死するであろうと予想されました。
昭和天皇は、ただ一人で連合軍最高司令官マッカーサーのところに出向き、
「自分の命はどうなっても構わないので、国民を救ってもらいたい」と仰ったのです。
命乞いにきたのだろうと待ち構えていたマッカーサーは、そんな天皇の姿に驚き、
「生けるキリストを見た」と感動して日本に食糧を送るよう本国に命じました。
日本は、我が身を捨てて国民を守ってくださった昭和天皇によって救われました。
天皇は、朝な夕な、国の平安と国民一人ひとりの幸せを祈ってくださる大祭司です。
天皇にとって国民は大御宝(おおみたから)、大切な赤子です。
昭和天皇は苦しむ国民をわが身の痛みと受け止め、途方に暮れている国民の中に飛び込んで行かれました。
軍部の罪をも一身に背負い、8年間、全行程3万3千キロに及ぶ沖縄を除くすべての都道府県を御行幸された天皇陛下のお姿に国民は感激し、心一つになり日本は復興しました。
今の日本があるのは、昭和天皇のおかげです。
世界唯一、2千6百年を超える歴史を刻む、日本。
それは天皇の祈りによって支えられてきた歴史でもあります。
天皇と国民が一つになり、大きな和をもって作り上げられてきた日本。
この日本の尊い国柄こそ世界の希望の光です。
原爆を落とされ戦争に負けても、地震が来ても、津波が来ても、原発が爆発しても、日本は復興します。
しかし、天皇がなくなれば日本は終わります。
そのとき世界も終わるでしょう。
このたび一冊の本、「聖なる約束2・ヤマト人への手紙」が、矢吹紫帆・矢中鷹光氏によって「組曲・ヤマト人への手紙」としてCDになりました。
13の章に込めた願いが、音霊となりヤマト人の心に響き渡りますようにと念じます。
125代今上陛下最後の年に「日本よ永遠なれ」と祈りを込めて。
赤塚高仁
求めなければ得られないけれど、
求めたからといってやってくるものではありません。
なぜか時の流れの中で、やってくる恩寵の中に、生きていることの懐かしさを感じます。
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