美しくなければ街ではない
ハウステンボスによく行ってた時期がありました。
長崎の4次元パーラーあんでるせんにいろんな人をお連れしていた頃のことです。
オランダの街並みを再現したランドスケープに感動しました。
ヨーロッパの街並みは、その国々の文化を表し、
それぞれの民族性をそこに見ることができます。
オランダは、江戸時代の日本ともとても深いつながりのある国です。
先日の国王夫妻訪日で、オランダのことをふと思ったのでした。
オランダは、とても個人の自由を尊重する国のようです。
結婚の形は、パートナー婚も同性婚も認められています。
女性が望めば堕胎も許されているそうです。
アムステルダムには、飾り窓の女という場所があるようで、職業の売春も認められています。
尊厳死を選択する自由もあります。
マリファナも喫茶店で購入でき、吸えます。
さすがに個人主義の世界と言いましょうか、自己責任、大人の世界に感じます。
ところが、そのオランダで絶対に許されないことがあります。
家を建てるときに、外観について他人の意見を聞かず、自分の好みだけで建築することです。
建物の高さはもちろんのこと、屋根や外壁、窓の形、建物の色。
建ペイ率や容積率。
すべてを周囲の環境や街並みに調和させなければなりません。
役所の厳格な審査があり、竣工後も外観維持のための検査が定期的に続くのです。
他人に迷惑をかけない限り個人の領域に関しては、個人の自由とされ自己責任となります。
しかし、建物の外観は公共の財産だと考えられているようです。
好き勝手に家を建て、自分勝手なことをすれば、歴史をかけてご先祖たちがつくってきた文化を破壊することになる。
その考え方が、世界で最も美しい街並みの国の一つとなったのでしょう。
社会の約束事ばかり作り、制約の中でがんじがらめになっている日本。
そのくせ、国家や行政に依存し、いつも誰かのせいだと犠牲者の心になり果てる。
その反面、自分の土地に何をしようと構わないと、好き放題の家を建てる権利を当然のように主張する。
家が産業になって以来、我が国の街並みは消失しました。
今一度、住宅こそその国の文化であることを思い出す時が来ているのではないでしょうか。