ぼくの後ろに道はできる
魚に水が見えないように、
鳥に空気が見えないように、
人には自分が見えないようです。
五体満足というハンディキャップのなかで、私はつい、身体の不自由な人を見ると「かわいそう」と思ってしまいます。
植物状態で寝たきりの人を見ると「気の毒に」と思ってしまいうのです。
なぜなら、五体満足が当たり前で、身体に障害がある人は足りない人、不自由な人だから不幸だと思うのです。
だから、その人に何かしてあげるのが優しさだと思い込んでいたようです。
そんな傲慢さに気がつかなければ、人は本当の優しさに包まれることはないのでしょう。
私の敬愛する熊本の大野勝彦さんは、45歳まで丈夫な体を持ち大きな農家を営んでいました。
45歳のある日、農機具に手を挟まれ、両手を肘から先、失ってしまいます。
両手がある間は気づけなかった大切なこと・・・その思いを絵と言葉にし、義手で描き続けておられます。
60歳の時に阿蘇に風の丘大野勝彦美術館をつくり、35万人を超す来場者に感動と生きる勇気を与えています。
「赤塚さん、忙しか? 手ば貸そうかね~ いま5本余っとるけん」
私の心が、すこし小さくなりかけるとき、大野先生は空から見ておられるように電話を下さり、心に風を吹かせてくださるのです。
手を失ってから見えたもの、それは、本当のやさしさだと言われます。
6年前の2月、私の腹心の友、かっこちゃんこと山元加津子さんの同僚で支援者でもあった宮ぷーこと宮田俊哉さんが脳幹出血で倒れました。
宮ぷーは、かっこちゃんと同じ学校の先生で、全国で講演するかっこちゃんの活動を陰で支える優しい人でした。
冬の石川は雪の国です。
空港の駐車場にとめたかっこちゃんの車が雪に埋まると、夜帰って来たかっこちゃんは車に乗ることも見つけることもできなくなります。
宮ぷーは、かっこちゃんの飛行機の到着時間に合わせて空港に行き、
かっこちゃんの車を探しだしては、雪の中から掘り出して、そっと帰ってゆく。
そんな人でした。
そんな宮ぷーが重度の脳幹出血で、医師から3時間の命だと告げられたのです。
宮ぷーは、早くにお父さんを亡くし、お母さんは病院で寝たきりです。
たった一人の妹さんは、出産したばかりで病院に来られません。
医師は、かっこちゃんにこう言いました。
「もしも、命を取りとめても一生意識が戻ることはありません。植物状態です」
宮ぷーが聴いてる!そう感じたかっこちゃんは医師に「大丈夫です!」と答えました。
「あなた、僕の言っていることがわかる?」
「はい、大丈夫ですから!!」
その医者は、後で宮ぷーの妹さんに「あの女の人はびっくりしてちょっと頭がおかしくなってしまったのですね」と言ったそうです。
しかし、かっこちゃんは本気で「大丈夫」と思ったのです。
宮ぷーは、意識があり、ちゃんとすべてわかっている。
かっこちゃんは、養護学校の子供たちとのかかわりの中から、命の持つ限りなく大きな可能性を知らされました。
だから、医学や常識でわかることは本当のことの何分の1・・・いや、本当ことはほとんどわかっていないということを知っている人です、かっこちゃんは。
「赤塚さん、宮ぷーのために祈ってください」
泣きながら電話をかけてきたかっこちゃんに会うため、宮ぷーのための祈りを携え金沢の病院に走りました。
雪の中、ノーマルタイヤで飛んでいったため、あやうくスリップ事故を起こしそうになりましたが、なんとかたどり着きました。
素人の私が見ても、宮ぷーの回復は容易ではないと思わされました。
「ラザロを復活させたキリストの神様、どうぞこの兄弟にあなたの手を置き、立ち上がらせてください」
聖書を読んで祈りました。
かっこちゃんは、学校が終わると毎日病院に通うのが日課となりました。
かっこちゃんは、どんな微かな命の動きも見逃しません。
そして、とうとう宮ぷーが瞬きで問いかけに応えることができるのに気づくのです。
言葉は話せなくても、意思の疎通ができる。
3時間の命、長くもって3日。
万が一、命を取りとめても一生寝たきりで、意識は戻りません。
ほとんどの人は、そんな医師の言葉を信じ、絶望し、悲しみの中で患者と接します。
患者は、孤独という恐ろしい闇の中で、絶望の淵に沈んでゆきます。
かっこちゃんは、お医者さんは植物状態の患者に意識があるなんて知らないのだから悪くないと言います。
悪いのは、知っていて伝えようとしなかった私だと。
寝たきりで、意識がなく、意思の疎通ができないと嘆いている人たちに、
対話をする方法を伝えよう、宮ぷーとのエピソードが世の中の光となればいい。
映画「ぼくの後ろに道はできる」はそうして生まれました。
「白雪姫プロジェクト」は、介護の新しい希望の道を示す活動です。
あれから6年。
宮ぷーが、講演すると聞かされたのは先月、飛鳥画廊で再会したときでした。
「石川県の野々市で、宮ぷーが講演するから、赤塚さん来てください」
かっこちゃんの声は天の声、鶴の一声。
その場に立ち会いたくて行ってきました。
宮ぷーは車いすで会場にいました。
仲間に支えられて、15分ほど立っていられるまでになっていました。
しかも、病院を出て一人暮らしをしています。
レッツチャットというパナソニックの機械を使って、言葉を紡ぐことができます。
宮ぷー講演が始まりました。
「支えてくれたみなさんありがとう。
僕は、希望を失ったことはありません。
それは、かっこちゃんが僕の回復を信じ続けてくれたからです。
ただの一度も疑ったことがありません。
僕は、このカラダになってみて初めて、養護学校の子供たちの気持ちがわかるようになりました。
それまで、五体満足で子供たちの気持ちがわかってやれなかった。
いま、子供たちにあやまりたいです。
みなさんは、僕をかわいそうだとか、気の毒だと思うかもしれませんが、
僕は、今、幸せです。
僕は、なにもできませんが、僕が生きて、回復することで、
誰かの希望になればと思っています。
・・・・・・・・」
1文字、1文字
あ・か・さ・た・な・・・・
で、行を決めて 次に は・ひ・ふ・へ・ほ
ぼく と入力するだけでも容易ではありません。
それを、長い文章にし、メッセージとしてくれた宮ぷー。
勇者宮ぷー。
こうして、いま思い出しても涙がこみ上げて来てたまりません。
この高貴な尊い魂と出会わせてもらえて、私も本当に幸せです。
善き友こそ、人生の宝だと改めてしみじみ噛みしめるのです。
ある日、いや、それは今日かもしれません。
私が、あるいは私の大切な人が重い障害をもたされて、閉じ込められてしまうかもしれないのです。
宮ぷーは、すべて聞こえていたし、見えていたし、わかっていたといいます。
「お医者さんは悪くありません。
知らないことは罪ではないからです。
でも、知って、それを伝えないのは悪いことです」
かっこちゃんのこの言葉が、胸の中で響いています。