一年の禊ぎ祓い
第8回神話を体感する会、全国から大勢の方に集っていただいています。
2000年変わることなく続く、日本の背骨ともいえる伊勢の神宮での祭り。
夜の神宮の御神域に入れていただき、御神事を奉観させていだくのです。
漆黒の闇の中、人工の光が消えて、極寒の中待つこと1時間余り、
パーーーンという太鼓の音が始まりの合図です。
御祭主さま、神官さんたちの玉砂利を踏みしめる音が静寂を破ります。
いつしか魂がタイムスリップ。
私たちの遺伝子に書き込まれた、ヤマト人としての魂のスイッチがオンになる瞬間です。
どれほど本を読もうと、どんな人の話を聞こうと、
その場に居合わせなければ「体感」できるものではありません。
夜の御祭に参加させていただけるのは、全国から約300人ほど。
やはり、縁ある魂の兄弟姉妹が呼び寄せられるのでしょうか。
御神域に入れていただく前、神話を体感する会では水行を行います。
水浴びという人もありますが、禊ぎです。
神宮の宇治橋の少し下流、神域を流れてきた五十鈴川に身を沈め、禊ぎ、祓い、
身も心も清めて御神事に向かわせていただきます。
12月の川の水は、思ったよりも冷たいのです。
流れている水は、骨の髄まで冷たさを届けてくれます。
明治天皇の御製
「五十鈴川
清き流れのすえ汲みて
心を洗え
秋津島ひと 」
を朗詠するのですが、初めての人はとてもそれどころではなく、
・・いすずがわあわわあわわあわ・・・のあと歯ががちがちなる音が響くばかりだったりしますね。
男子はふんどし一丁、女子は白衣
こんな非日常の瞬間に、思考回路は停止
これまで出会ったことのない自分に出逢うことができるようです。
私も初めて禊ぎをした冬、本当に怖かったです。
極寒の中、川の水に首まで浸かるなんて尋常なことではありませんから。
でも、そのとき皆が準備運動する前からすでに水に入って、ボンボリを持っていてくださっていたのが中山靖雄先生でした。
その明かりを頼りに水に入りました。
その明かりが希望でした。
そして、勇気をくれました。
ボンボリ持ちは、皆が終わりの体操をしている間もずっと水の中です。
ボンボリがなければ入れない・・・そう思ったものでした。
神話を体感する会を主催し、ボンボリを持つ立場にさせていただいています。
無言で一礼して、ボンボリを持って水の中に入ってゆきます。
向き直り、皆さんが入ってこられるのを川の中でまちます。
骨まで震えるほど寒いです。
でも、この明かりが皆の希望であり、勇気であると思えるとき、わが心は静かになります。
日常の中の心の嵐は止み、ただ生かされている懐かしさが胸に込み上げてきます。
私は一人では禊ぎはできません。
この12月の水行は、私にとってリセットであり、やまとこころのスイッチオンなのです。
それにしても、空には星が綺麗でした。
今朝は、早朝の正式参拝。
その後90分ほどのお話もさせていただきます。
こうした機会に導かれていますこともきっと、聖なる約束なのでしょう。
ひとりでも多くの人に、やまとこころのキャンドルサービスをしてゆきたいと願わされてなりません。
今日も自分からいい日にさせていただきます。