新・伊勢物語
今年も今日を含め、残すところあと4日となりました。
時間が過ぎる速さが、加速していると感じるのは単に歳のせいだけではないと思えます。
何かを急がされている。
そんな気がするのです。
この一年は、やまとこころの道場から始まり、やまとこころの道場で暮れました。
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仕事納めの昨日、今野華都子姉さんと中山靖雄先生を訪ねました。
やまとこころの道場を「華雅庵」と名付けてくださったのが、中山先生でした。
中山先生、脳梗塞で倒れ、寝たきりですが驚くべき記憶力ですべてのこと、ご存知です。
目も見えず、ただ声や握手の手を頼りにその人の心と対話してくださいます。
見える世界と見えない世界の堺もないように思えるほど、魂の自由を感じさせてくださる中山靖雄先生です。
肉体の不自由の中で、この世を生きることを命懸けて示してくださっています。
お会いするたび、涙がでます。
中山先生の教えを、入江富美子監督は「へそ道」として伝えています。
さて、伊勢の道を走りながら華都子姉さんと交わした会話の数々。
初めてタラサ志摩でお出逢いをいただいてから、どれくらいたったのだろう。
ABCフォーラムという名古屋の異業種交流会で訪ねたのがきっかけでしたが、
その後、秋山木工の社長、秋山利輝さんの結婚式やさまざまな場面で再会してゆきます。
7年前のイスラエルに申込みまでしてもらいながら実現しなかったことも、今は意味がわかります。
そして、今年、とうとう華都子姉をイスラエルに導くことができました。
私にとって、果たさなければならなかった約束の一つだったのでしょう。
旅の中でのメッセージやサイン。
それは、この世で生きた意味を超えていました。
でも、不思議は詮索しない。
まだ、物語は始まったばかりだからです。
仙台で生まれ育ち、45歳まで世の中から隠されるようにして生かされてきた一人の女性が、
突如、表舞台に現れるとまばゆいばかりの光に包まれて、世界一のエステテシャンという衣を着せられる。
どれだけ拒んでも、どんなに否定しても伊勢へと続く道に乗せられ、導かれてしまう。
あたかも、月からの迎えが来たときのかぐや姫のように。
華都子姉さんと出会ったころ、聞かせてもらった物語。
本当のことだけど、あまりにビックリする話だから夢のように聴いてました。
でも、やっぱりきちんと聞いて、残さなければいけないと思わされた今朝なのです。
新・伊勢物語
いまは一体、何章なのでしょう。
昨日車の中で、はっきりわかったこと。
「預言者」と「伝道者」のちがい
私は、伝道者として生まれたのです。
預言者を証しして、伝えるのが私の役目。
それがどういうことなのか、明らかにされるのが新しい年のようです。
きっと来年は、今年以上に語り伝えてゆくことになるのでしょう。
洗礼者ヨハネのように。
パウロのように。