私たちがもっとも恐れるのは
マリアンヌ・ウィリアムソンという人の言葉で
ネルソン・マンデラが演説で引用し有名になったそうです。
『 私たちがもっとも恐れるのは自分の無能さではありません。
私たちがもっとも恐れるのは、
自分たちに途方もない力が与えられていることなのです。
私たちをもっとも恐れさせるのは、
私たちの中にある闇ではなく、光なのです。
私たちは自分に問いかけます。
「自分ごときが、優秀で華麗で才能があって素敵であるはずがあろうか」と
でも、そうであって何がいけないのでしょうか。
自分を卑下しても世の中の役には立ちません。
人から警戒されないよう、
自分を小さく見せるのは賢明でもなんでもありません。
私たちは、私たちの中にある栄光をしめすために生まれてきました。
それは一部の人のものではなく、万人に与えられています。
自らの光を輝かすことで、
無意識のうちに他人も同じことができるようにしています。
恐怖心から解放されたとき、
私たちの存在が自動的に他者を解放するのです。 』
知らず知らずのうちに習慣となり、考え方の傾向となってしまった
「謙虚」の仮面をかぶった傲慢さが、自分を動けなくしてしまっています。
自分の闇に呑み込まれ、思考を乗っ取られ、エネルギーをじゃじゃ漏れにしていることにも気がつけません。
エネルギーを取り戻そうと、自分より弱いものをコントロールして、人のエネルギーを奪います。
それを、いじめと言います。
平和を実現するために戦争をするのも、まったく同じエネルギーの構図でしょうか。
一人ひとりが生まれてくるとき、神様から分けていただいてきた光、
神道では、分け御霊と教えています。
主の栄光と呼んでも構いません。
特別な霊能者や、教祖のものではなく、万人に与えられているその光を輝かせること、
それが人のあるべき姿だと仏陀も、イエスも、マホメットも、アマテラスも教えます。
光・・・霊・・ヒ・・・
今日一日、光を恐れないで、
自分がこの宇宙でたったひとつのユニークなかけがえのない存在であることを認め、
創造主の栄光を、わが身をつかって表してゆきましょう。
そうすれば、自分を愛することができます。
謙虚は、ときに自分を不信になり、愛を見失います。
自分を愛することができてこそ、隣人をも愛せるのですから。
如己愛人・・にょこあいじん
私たちがもっとも恐れていたのは、己の闇ではなく、
光だったとは、大発見です。
神様の祝福の水路として、生かしていただけますようにと祈ります。