「喜ばれるとうれしい」という本能
人間は、動物ですが、本能のままに生きてゆくわけにはいきませんね。
歳をとって
病気になって
死んでしまう。
そんな苦しみから逃れられない、この世に生れてしまった。
そんな4つの苦。
そして、会いたい人に会えない苦しみ。
会いたくない人に会わなければならない苦しみ。
欲しいものが手に入らない苦しみ。
本能のままに生きられない苦しみ。
この四つの苦、合わせて「四苦八苦」と言ったのは2500年前、インドに生まれた仏陀でした。
動物には「自己保存の本能」と「種の保存の本能」の二つの本能が組み込まれています。
この本能のままに生きようとすると、争いが絶えず、修羅場が繰り広げられてゆくことでしょう。
でも、「人間」はこれらに加え、神様から三つ目の「喜ばれるとうれしい」という本能をもらっているようです。
では、神というのはどういう存在かというと、
「喜ばれるとうれしい」というエネルギーのかたまりが神のように思えます。
神はそのエネルギーを、生物界の頂点に存在する人間に付け加えたのでしょうか。
食物連鎖から、唯一切り離されている存在である人間には、神様の願いがあるのかも知れません。
宇宙には「ありがとう、ありがとう」と言っているだけで、
それがエネルギーになるという法則もあります。
うれしい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、ありがとうと口から出てくる言葉が喜びと感謝の言葉に満ちていると、
それ自体が自分の体にとってエネルギーになると同時に、
その言葉を聞いた周りの人、そして目に見えない方々をも元気づけ勇気づけることになるようです。
頼まれごとは、試されごと。
喜んで、喜ばれる存在になる、それが自分を苦しみから救う道なのでしょうか。
今夜は、Aさまご契約。 Aさまファミリーに喜んでいただけること、魂の底から祈って御来社をお待ちしています。
Oさま邸は、今日上棟。 神様の宿る家が、ひとつ、またひとつと花開いてゆきます。
今日も、生かしていただいてありがとうございます。