如己愛人 にょこあいじん
2015.01.10
長崎は浦上にわずか一坪の建物、如己堂があります。
昭和25年 43歳でこの世を去った、永井隆博士が最後に住んだ場所です。
戦時下で物資のない中、放射線科の医師として、結核患者を救うためにレントゲン映像を直接目視し続けて白血病になってしまわれました。
あと三年生きられないことを知り、妻のみどりさんに二人の子供を託します。
入院していた永井博士と疎開していた子どもたちは助かるのですが、
一人で家に残っていた妻、みどりさんを原爆が襲いました。
看護婦に支えられ、家があっただろう場所に着いた永井博士。
カマドの前に骨を見つけ、みどりさんが肌身離さずつけていたロザリオを拾い上げます。
自分の骨を拾ってもらうはずだった妻の骨をバケツに入れながらも、
神様がなさることは最善なのだと、神を賛美する博士でした。
真のキリストの信仰者でした。
小説「長崎の鐘」は、大ベストセラーとなり、映画にもなりました。
長崎原爆合同葬で弔辞を読まれたのが永井博士でした。
「原爆は当初、小倉が目標でしたが天候が悪く長崎に変更された。
しかも、軍需工場地帯を狙ったのに風向きで浦上に流されたのは、
ここが世界平和のための生け贄とならなければならなかったのだ。
終戦のための御前会議と時を同じくして原爆が落ちたのは、
天皇に終戦の御聖断せしめるためだ」と驚くべきスピーチをしているのです。
遺族の中からは、異議あり!!の声が湧き上がります。
永井隆博士は、真のキリスト者でした。
当時の日本で、天皇陛下に対する意見を言えたのも、もはや博士の魂は天界にあったからでしょう。
後に昭和天皇は、長崎に永井博士を見舞っておられます。
ヘレンケラーも博士を訪ねています。
その事実だけでも、永井博士の魂力がうかがい知れるではありませんか。
いなくんが、11月15日京都での出版記念講演会のとき、
「赤塚さん、パウロからのメッセージを3つ受け取りますよ」と言いました。
その一つがこの永井隆博士の想いを多くのヤマト人に届けること。
如己愛人、マルコによる福音書12章、己を愛するが如くあなたの隣人を愛しなさい、というイエスの戒めです。
永井博士の座右の銘だったそうです。
私は、本にサインするときこの言葉を使わせていただくことにしました。
永井博士の想いも伝えて参ります。
記念館にあったのですが、永井博士のホーリーネームは「パウロ」
目に見える世界や、この世の常識、自分の考えをはるかに超えて「聖なる約束」は働いているようです。
内なる静かな呼びかけに気づける私でありたい。
「神様、私が願うことではなく、あなたが私に願ってくださることが成就しますように、どうぞ私をお使いください」
そんな祈りが沸かされます。
今年 第一回目の講演会、長崎原爆資料館平和ホール、いってきます。