可哀想なこどもたち
学校に行けない子供が増えているそうです。
私が子供の頃は、当たり前に殴られました。
女子でもビンタです。
いまは、ビンタなんて言わないのでしょうか、平手打ちですね。
小学生の子供の頬に手の跡がつくほど殴るのですから、ちょっと問題ありですが。
でも、子供ながらに悪いのは自分だと思っていましたし、
大人は怖いものだと思っていましたから、少しは反省しました。
学校で先生に殴られたと言おうものなら、家でもオヤジに殴られるので黙っていました。
子供のために、心を鬼にして殴っているのだ・・・という先生の中にはウソも見えていました。
子供は、全部わかっています。
ただ、感情に任せて自分をコントロールできない先生もいましたから。
先生も子供だったのでしょう。
それでも、先生は子供から敬われました。
親も先生を敬ったからです。
私が子供の頃は、自分の時間というのはあまりありませんでした。
家の手伝いをしなければならなかったからです。
風呂もマキで沸かす五右衛門風呂でしたから、火をつけて木を燃やすのが私の仕事でした。
近所のお店に買い物に行くのも、鍋を持って豆腐を買いに行ったり、一升瓶に醤油を詰めてもらったり。
空き瓶を集めて、いくらかの小銭をもらうのも嬉しいことでした。
いまの子供たちには十分時間があります。
この時間を子供の自由にさせるとロクなことにはならないようです。
ボランティア活動だったり、掃除だったり、草むしりだったり、身体を動かして誰かの役に立つ時間にしてやれば、
だらだらゲームをしたり、くだらないテレビで時間を奪われることが少なくなるはずです。
時間が十分あるから、だらだら生きてしまうのです。
この頃の若い者は・・・という愚痴は、エジプトのピラミッドの落書きにもあるそうですから、人類の永遠のお約束のようなモノかも知れません。
いまの世の中にあるものが間違っているとはおもいませんが、少し見直してみるときに来ているようです。
子供が大人を尊敬できないのは、悲しいことです。
夢が持てなくなるからです。
夢がなくなれば、人は冒険できなくなり、ただ老いてゆきます。
そして、そんな子供が増えればその国は衰退するのは火を見るより明らかでしょう。
子供に勉強しなさいという親は、まず自分が勉強して成長する喜びを発露する。
いい会社に入れ、という前に、仕事が楽しいものだということを自分が味わい、その喜びが伝わるように。
子供は嘘を見抜きます。
子育て中のお母さんたち、どうか日本のために顔晴ってください。
お母さんたちが、学び、祖国のことを知ってくれなければ、日本が亡びてしまいます。
母は強く、優しく。
子供たちのために、祖国のために、やまとこころを思い出して欲しいと願わされてなりません。
命懸けで教育に立って下さっている修養団の武田所長と二人の新年会、
ガラスの仮面の美内すずえさん、光田なおこテンプルと合流もありの今夜です。