道徳を「教える」ということ
中日新聞に、こんなタイトルで全面記事が掲載されています。
小中学校の道徳が2018年以降、教科外活動から正式な教科に格上げされることになったとのことで、
「人の内面に関わる内容だ。何を、どのようにして教えるべきか、教科にしていいのか。識者の意見を聞いた」
という書き出しで、4人の「識者」に意見を言わせているのです。
しかし、この朝日新聞に匹敵するサヨク新聞は、いつももって行きたい方向があり、
こういう記事には注意が必要です。
作家・石井光太氏
「道徳の授業が果たすべき役割って、文学や映画のそれと似ているかも知れません。
答えの出ない問題を考え続けるところにある・・」 ん~観念論。
東大教授・鄭雄一氏
「私たちは子供に 『人を傷つけてはいけない』と言います。
でも、なぜ死刑や戦争があるのか、うまく説明できません。
また地域や生活環境によって人の価値観は違うので、他人に同じルールを矯正してはいけない。
考えや行動の多様性を認めないといけないということを、子供にしっかり理解させるべきです。
道徳の教科化が、一部の思想の強制に利用されないよう、良く見ていかないといけないでしょう」
これは、まったくアタマ、まったく心に響かない、道徳の本質から遠く離れた思想。
これは、怖い。
教育評論家・尾木直樹氏
「 『道徳教育をやれば、いじめがなくなる』なんて真っ赤なうそなんですよ。
道徳の教科化には反対です。教師は評価するため、子供も行動に制約を受ける。
問題は、何をやらなければいけないかわかっていても、実際にはできない子がいるということ。
だから、多様な価値観を認めること、自己肯定感を上げること。
過去の偉人に学ぶとか、教育勅語とか、それって過去を向いた教育なんですよね。
未来に向かった道徳教育が必要だと思います」
やはり、この方日教組あがりのバリバリサヨクですね。
恐ろしいほどのコミンテル思想です。 中日新聞が向いている価値観がここにあるのでしょう。
一番中心に、この方の思想が居座っています。
世界中で、祖国の偉人に学ばない国は日本だけだということにいい加減に気づいてください。
歴史に学ばなければ、人は動物以下になります。
唯一、うなづけるのが漫画家・作家・さかもと未明さん
「大戦後の日本は、戦前の道徳観や修身教育などを否定し、宗教教育もゼロになりました。
人間を育てる点では異常事態だと思っています。
確かに現代は価値観が多様で、昔のように一つではありません。
宗教が科学の進歩を遅らせ、戦争を起こすこともあり得ることを学んでいます。
でも、そういうことを分かり過ぎた結果、現代人はどうすべきか分からなくなってしまった。
だから、子供にはまず一つのプロトタイプ(型・見本)の価値観を与え、
方向性を示してあげるべきです。
大きくなって自分に判断力がついて 違う と思ったら捨てればいい。
きれい事だけを教えろというのではありません。
残念ながら、人間は悪意を持っています。
犯罪も戦争もある。
私は、善があるためには悪も必要と考えています。
光があれば必ず影ができるわけで、無明の世界では光があることにさえ気がつけない。
子供にはまず善を選び取ることを教えなければいけませんが、人生の残酷さ、地獄も教えないと。
教科化が必要なのは、私たち大人が子供の基礎を作ることに責任があるからです。
多様な価値観があるということで逃げてはいけない。
教科書という形で一般化して、一つの価値観を子供に示すべきです。
教科化で国の関与が強まることに反対する人がいますが、民主主義国家である日本では、
国の意思は、私たちの意思。
私たちの意思による国の道徳教科書を提示できないなら、日本は民主国家ではありません。
戦後の反省から、戦後はバランスの悪い教育が行われてきました。
自己実現を目標にした結果、自分ばっかりの教育になってしまった。
戦前の教育も別の意味でバランスが悪かったが、両方の長所、短所を検証し、中庸でいくべきです」
女性の時代、母性の時代。
アタマっぽい男の思考では、もう生きてゆけません。
男子も、内なる女性性に光を当て、心に聞かなければいけないでしょう。
あらゆる場面でこのことが問われているように思えます。