赤塚高仁ブログ

無目的ホール

2015.01.25

 私が33歳の時ですから、

今から25年前のことですね。
津市の郊外にできた団地の真ん中に、
65坪ほどのログハウスを建てました。
北米モンタナ州のミズーラというところから、
ウエスタンレッドシダーの丸太を船で運んで。
 結婚したときから、いつも誰かが遊びに来てくれました。
高松の小さな県営住宅に住んでいたころ、寛子さんと
「訪ねてくれる人たちのための家が欲しいね。
泊まっていってもらえる所があればいいね。
みんなが集まる場所を持ちたいね」と話していましたが、
その夢がカタチになったのかも知れません。
 訪ねてくださる方の波動によって、自由自在に変化する空間。
所有者の目的ではなく、来る人の喜びのために存在する場所。
ホテルは、宿泊施設ですが、このホールは目的のない場所。
時も流れを変える空間。
「無目的ホール」
と呼ばれるようになったのです。
  糸川英夫博士が度々 滞在してくださったり、
落語の高座が出現したり、 着物の展示会をしたり、
様々な出来事が、この空間に刻まれてゆきました。
山元加津子さんの映画、「1/4の奇蹟」の撮影もここで始まりました。
8年間 毎月聖書の会を開き、全国から学びにきてくださったのもよい思い出のひとつですね。
 いったいどれくらいの方が訪ねてくださったのか、
数千人・・ もっとでしょうか。
いいえ、数を誇りたいのではありません。
人が来てくれるのが嬉しいのです。
二度とない人生、
出逢いはツキです。
ツキが重なり、運になる。
人が訪ねてきてくださる、
それだけで、私の人生は成功。
豊かなひと財産。
 こんな風に思えるのも、アンさんのおかげです。
糸川先生のそばで支え続けてこられたアンさんの姿が、
私たち夫婦に刻んでくれた教えと言えましょうか。
 人は二度死にます。
一度は、肉体が滅びるとき。
もう一度は、すべての人から忘れられるとき。
二度目の死を迎えるのを遅らせる生き方がしたいものです。
  無目的ホール、夕べから舩井勝仁さんと山内尚子さんが来てくださってます。
さあ、これから今野華都子姉さんの道場にいきます。
日本のSAKIGAKE会談。
  今日も自分からいい日にさせていただきます。
 
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