すべてはいまのためにあったこと
このところ、みつだなおこの名前が出てきますが、何故だか今日もなおこさんの一言から始まります。
東京講演会の最後の挨拶で、なおこさんが、
「いろいろあったし、まさか友達になるなんて思えなかった赤塚さんだけど、
すべては今日のためにあったのね、と思ってます」と言ったひとことが胸に残っています。
そのときのなおこさんが、とても輝いていたから。
今月22日に愛媛は伊予西条にて講演会を主催してくださる近藤千恵子さんが、こんな風に言っています。
「昨年11月15日京都で初めてお話させてもらい、今年1月11日長崎でご一緒させてもらった❇❇❇光田 菜央子さん❇❇❇
菜央子さんが9年前、イスラエルに行っていなかったら...
その後、お兄様のケイシー伝道者 光田秀先生と赤塚さんの講演会を開催されていなければ...
...
あの日、6,300円をケチってDVDを買っていなければ...
私が赤塚 高仁さんを知ることもなく...
日本のことも、陛下のことも、イエス様のことも、神さまの愛の世界も...何も知らない私が居たかも知れないと思うと、
「あ~神さまは私自身を私以上に知り、出会わせてくれたんだな~」と賛美せずにいられません。」
と、喜んでおられる近藤さんも喜びのカタマリのような方です。
いつも笑っています。
いいことばかりあるわけではないのに、どんなこともいいことにしてしまえる彼女の存在がまわりを暖めます。
その反対に、自分はどうしてこんな目に会わなければならないのか、
神も仏もあるもんか、 自分ほど不幸な人間はいない・・・というようなミケンに皺を寄せて歩いている人もありますね。
犠牲者の影に乗っ取られ、怒りと悲しみという恐ろしい毒で神経が麻痺してしまっているようなとき、
生きるエネルギーはじゃじゃ漏れし、心は「今」にいません。
エネルギーが枯渇してくるので、それを補給しようとパワースポットめぐりをしたり、
スピリチュアルリーダーにしがみついたりしますが、風呂の栓を抜いたまま水を入れても溜まらないように、
エネルギーのじゃじゃ漏れを止めない限り、満たされることはありません。
挙句の果てに、エネルギーを人からうばおうとして、自分より弱い相手にかみつくのです。
それが、「いじめ」という現象です。
エネルギーに満ちた人は、いじめなどする必要もありませんから、いじめをしている人は、
「今」「ここ」にいない人たちなのかも知れません。
自分の苦しみをの原因を過去に探しに行き、未だ見ぬ「未来」の不安に怯える。
過去も、未来も幻想の世界です。
過去と未来の住人になると、エネルギーは充電されることなく、放電一方で枯れていってしまいます。
苦しみも、ネガティブな感情もすべて「今」自分が、何かに抵抗しているのです。
そして、それは常に無意識に為されています。
エネルギーの場は、今、ここ だけです。
今この瞬間を喜ぶとき、私たちは創造のエネルギーとつながり生気に満たされます。
「今」の住人は、意識的です。
エネルギーは、外からもらうのではなく、自らのうちに立ちあがって来るものだと知りましょう。
意識しましょう。
今を喜べるようになると、過去の出来事を肯定できるのです。
みつだなおこさんが輝いているのは、「今」の住人だからです。
彼女の周りに多くの人が集まるのは当然のことです。
彼女が、最悪と思っていたアカツカとの出会いを肯定し、よかったことに変えられたのは素晴らしいこと。
「すべてはいまのためにあったこと」
今をよろこぶとき、過去が変わる。
もしかしたら、未来はあらかじめシナリオがあり変わらないこともあるのかもしれません。
たとえば、私たちは必ず死ななければならないようですし。
でも、過去が変えられるのはなんとすごい福音でしょう。
生まれてきてよかった!
一番初めのコマを白にできたら、私たちのオセロゲームは今を喜んだ瞬間、
大勝利!!
だから、これでいいのだ!