やまとこころの道場で祝言
華都子姉さんからメールが来た。
「明日、やまとこころの道場で祝言を挙げることになりました。
高仁さんが全身全霊で、魂で、この道場を造ってくださったおかげ様です。
あれから一年です。
その節目に二つの魂が寄り添うその門出の儀式をさせて頂くことになりました。
本当にありがとうございます。
宜しければ是非このハレの日にお立ち会いくださいませ」
「何時からですか?」
「お式は10:00~始まります。
時間は30分です」
と、いうわけで午前中の予定をすべてキャンセルして華都子姉さんの道場へ走りました。
マホちゃん先生も一緒に呼んでもらったので、ふたり式服を着ていったのであります。
ずっと昔、私が子供の頃、結婚式は家でやりましたね。
親戚が集まって、私、三三九度のお神酒を注ぐ役をやったことありますわ。
そんなことを思い出させる場が、そこにありました。
なんと、驚いたことに着物を着た新郎新婦も、華都子ねえさんに
「ちょっと、この日伊勢に来なさい」と呼びだされた、東北の二人。
この二人のいきさつがまたすごいので、華都子姉さんのブログから紹介します。
・・・新郎はスイスから縁もゆかりも、ないと思っていた日本の仙台にきました。
新婦は極寒の旭川から八戸にきました。
でも15年後に出逢うようになっていました。
その筋書き書いた人は新婦の亡き父でした。
自分が死ぬ寸前に娘に
私の本を読みそこに書かれた新郎を「この人と結婚したらいい」と言ったそうです。
まだ、私にも会っていなく、まして新郎に見ても会ってもいないのにです。 八戸に行ったとき、
二人を合わせたいと思い立ち
すぐに電話をして合わせました。
後は大人の二人が決めたらいいと思っていましたが、ある時、
「あの人は運命の人だった、父が話した人だった」と急に思い出したのでした。
父が日本のムスビの神に託した思いが形になって今日の結婚式となりました。
・・・引用ここまで」
結婚式をするなんて知らなかった二人でした。
式をすることも知らない二人を知らない私が列席するのもご縁でしょうか。
媒酌人の華都子姉さんと、式を執り行った伊藤宮司。
新婦の親友と私。
なんと列席者は4人。
いったい過去世でどんなつながりだったのでしょう。
それから、伊藤宮司さまは伊勢の神官ですから、民間の結婚式だの地鎮祭だの一切してはならなかったのですって。
神宮の中での儀式のための神官だったので、退官して生まれて初めての結婚式だったそうです。
この祝言のことは、華都子姉さんのブログでお読みください。
http://ameblo.jp/k-konnothalasso/
ちょうど一年前、道場をお引渡しした日から行事が行われました。
最初は、味噌づくりセミナー。
ヤマト人の命を支える食の大切さを、日本人の伝統食「味噌」を仕込むことによって体感する。
洗顔洗心塾、断食セミナー、古事記塾、イスラエルの旅の同窓会・・・全国から魂の兄弟姉妹が集結しました。
伊勢の神官、倭姫神社の宮司を最後に体感された伊藤宮司のお話会も毎月開催されたのでした。
「場が進化する」・・・そのことを身を持って知らされた今回の結婚の式でした。
廃墟のような建物を修繕し、リフォームし、精一杯の資材と仕事で使ってもらえるようにはさせていただきましたが、
その後の空間の成長は、使う人、来る人、関わる人の念によって違ってきます。
すなわち、まったく同じ図面、同じメンバーで作った建物でも、住む人によって違うものになってゆくのです。
一年間で やまとこころの道場は驚くべき進化を遂げました。
伊藤宮司が祝詞をあげ、祝いの言葉を述べられた瞬間、まるで皇大神宮の御垣内にいるような涼やかな風が心に吹いたのです。
涙を流す新郎新婦。
胸一杯になる私。
この世でどんなつきあいをしているかを遥かに超えた、縁の中での魂の触れ合いに、
生きていることのなつかしさに胸が一杯になったのでした。
そして、人生は素晴らしいものなのだと賛美が湧いてきてなりませんでした。
この道場は、ヤマトの希望であり、世界の光となることでしょう。
どうぞ、足を運んでください。
体感してください。
一切の宗教を超えた、信仰と祈りの原点がこの空間のなかにありますから。
「 赤塚様
本日は御多用のところ松田守弘さん、真理恵の結婚式にご参列いただきありがとうございました。
お陰様でとても素晴らしいお式になりました。
この一年で人が育ち、場が整ったのを感じます。
万穂ちゃんが来てくださったのもすごく嬉しかったです。
どうぞよろしくお伝えくださいませ。
神宮参拝は不思議なほど場に恵まれ、誰もいない五十鈴川や参道での写真が撮れましたよ。
本当にありがとうございました」
ありがとうございました、は私のセリフ。
いったいあなたは何ものなのですか?
華都子姉さん。