言葉なき対話の世界
華都子姉さんの東京洗顔洗心塾に出かけたときのこと、会場の一番後ろに車いすの青年がいました。
そばに寄り添うようにお母さんが付き添っておられ、セミナーの間ずっとそこにおられました。
華都子姉さん、こんなふうに書いておられます。
「子供の時、目の前人の考え(思い)が言葉にする前に分かった。
その人が言う前に答えを言ってしまったり
面白い事なら先に笑ってしまったりしてしまった。
それはいけない事と思い封印したことすら忘れていた。
50余年ぶりにその感覚を思いだした。
彼と私はこの世では40歳ほど離れている。
私は俗に言う健常者
彼は二歳半の時脳症に罹かり、
俗に言う重度障害者
二人で話すとき
空気の振動で話す音(声)は使えない
初めての会話は彼のお母さんの通訳(指談)で話していた。
彼の目の焦点は時々しか合わない、私は目を瞑っている
もう、必要じゃないから。
私と話している時も
彼の身体は休んでいる
彼は寝息をたてている
時々イビキを「グー グー」とも
身体が休んでいる時も
意識は起きている
昼寝をしても声をかけられたら
すぐ返事をし起きられるのと同じ。
初めての会話は、
「僕は小さい時から
華都子先生のところに行って
色々なことを教わっています。
困った時は知恵を貸していただいています。」
もちろん、今世 身体を持った状態で会った事は無い。
今から自分が活動を開始することや、思っていることを話していいかと尋ねられた。
「もちろん!
みんなあなたの話が聞けるだけ心が整ってきたから、あなたが知っていること話して良いですよ。」
とお話ししました。
彼は時々よだれを垂らし、奇声を発したりもする。
車椅子に座り、支えがなければ座っていることも出来ない。
脳症と診断されて
一生何も理解せず、表現することも難しいと思われていた。
でも20歳の青年になった彼の中には素晴らしい意識の世界がある。
お母様と自分だけの世界にしてきたのを少しづつ解放してくれる。
それは時空を超えてやってきている。
人間以外のものは伝える時は言葉という音を必要としない
昔、私達が誰でも赤ちゃんだった時に持っていた能力の世界がそのままにある。
赤ちゃんも始めは言葉が話せない。
人になったから言葉が必要で、建前とか本音とか
とても不自由かもしれない。
私の頭の中はいつも擬似真空)状態、宇宙空間のような、音の無い世界の状態を作り出せる。
要するに彼が昼寝をしている状態に見える時と同じような世界。
「思う」「思わない」の
どちらにも属さない空間にいることができる。
これは生まれ持ったもの。
このことは人にはなかなか説明しずらい。
きっと、必要でこう生まれてきたのだろう。
「僕は少しだけこの身体のことが辛いのです。大好きなママに辛い思いをさせているから」
こうや君も必要でその身体を引き受けたのだろう。
健常者と言われていても、 障害者と言われても魂は同じ。
健常者は自分が 健常者と少しも疑わないが
目が見え
耳が聞こえ
この世のは音が多すぎ
情報が溢れ返って 多すぎるから見失い、
便利になるから退化する 物と事がある
一度自転車に乗れた人はすぐ感覚を取り戻す今までずっと途切れなくやってきたかの様に
久しぶりに自分に蘇ってきた超意識感覚、、。
言葉を慎み
心を穏やかに整え
謙虚に存在し
植物、動物、人同士の深いところで発されている
「声なき聖なる言葉」を聴く時が来ている」
・・・引用ここまで
華都子姉さんが今回東京に来るようにと言ってくれたのは、
この世界を見せてくれるためだったのでしょうか。
「情報」 と言う名のノイズのなかで、いったい私たちは何を見て、聞いているのだろうか。
見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞こえない世界を全てだと思い込んではいないだろうか。
五体満足というハンディキャップの中で。
そのこうや君が私に画用紙4枚に書かれた手紙をくれた。
生まれて初めて出会って、まだ言葉を交わしたことのない彼がお母さんに指談で思いを伝え書いてもらった手紙。
「 赤塚さん、
日本はね、今
変化のとき カトキ、になりましたね
心して楽しくしましょうね。
ぼくも お手伝いをしたいと思いますが
なんせ 体がこんななので男手、力、体力が必要なんですよ。
よかったら お力をかしてください
もちろん今野先生は知識をおかりしてますので
赤塚さんからは、体力を貸していただきたいんですよ
よろしくお願いします
ぼくの名前は、神原康弥 かんばらこうやです」
私は、とうとう新しい世界の領域に足を踏み入れたのでしょうか。
56歳になった今日、改めていろんなことを思わせていただいています。
生まれてきた意味など、未だにわかりませんが、自分の願うことよりも自分に願われていることがわかるために、
もっと自分を空しくして生かされてゆきたいと思うのであります。