十戒
天地創造の「偉大な力」は、六日間で全ての仕事を終え、七日目に休まれたと聖書の始まりの始まりに書いてあります。
その「偉大な力」は、今から4000年ほど前、一人の預言者にメッセージを届けました。
一、私は永久のあなたの神である
二、偶像崇拝してはならない
三、神に不敬なことを言ってはならない
四、安息日を守りなさい
五、両親を敬いなさい
六、殺してはならない
七、姦淫してはならない
八、盗んではならない
九、嘘をついてはならない
十、隣人をうらやんではならない
この十の戒めを「偉大なる力」から預かったその人の名は、モーセ。
モーセからつながるユダヤ民族は、いまでもこの十戒を守り続けています。
ちなみに、その後聖書ではそれが細分化されて613の戒めになってゆくのですが・・・
2000年前、ローマに国を滅ぼされ世界中に散らされて、流浪の民となってもユダヤの民は「偉大なる力」との約束である戒めを守りました。
天地創造の「偉大な力」が休まれた七日目、その日は安息日(シャバット)と呼ばれ、金曜の日没から土曜の日没まで一切の仕事をしてはならないのです。
ユダヤの民は、シャバットを守り、また、シャバットがユダヤの民を守って、民族のアイデンティティは失われませんでした。
そして、イスラエルは2000年の時を経て再び建国されたのです。
人類史上最高の奇蹟の一つです。
私は、イスラエルで度々シャバットを体験しました。
公共機関、交通機関、全てが止まります。
火を使うことは「仕事」と見なされるから、料理をしてはいけません。
写真(フラッシュ)もタバコを吸うことも許されません。
スイッチを押すことも「仕事」とされるため家の電気はタイマーで点灯、ホテルのエレベーターもシャバット用、各階停止の運行となります。
シャバットの夜、家族全員が蜀台に燈されたロウソク(このメノラーの炎は善しとされている)の灯を囲み、聖書を読み、
4000年の間伝えられてきた民族の歴史、神との対話のひとときを過ごします。
いまここにある自分の命が、大きな意志から生み出されたものであることに思いを馳せるのです。
もっとも、ユダヤ民族であろうと大和民族であろうと「偉大なる力」が作り出した命であることに変わりはありません。
私達は、両親にこの世に生み出してもらいました。
しかし、両親だけでは私達は生まれることはできません。
何故なら、私達は「肉」と「霊・魂」によってできていて、そのどちらも人間が創ることのできないものだから。
私たちをこの世に生み出そうという「偉大な力」の「意志」が働き、父母がその念を受け命を宿す。
私たちは、その両親を選んで生まれてきます。
両親は子供を選べないのです。
産んでもらって本当に有難い事ですね。
一切の仕事をしないシャバットの時間、日常から離れた非日常のひとときに人は緊張から開放され、目に見えない本当のこととつながりを持つのでしょうか。
歴史を変えた三人のユダヤ人、アインシュタイン、マルクス、フロイトも「目的を持たない」シャバットのひとときに「偉大なる力」とつながり大いなる気付きを得たのかも知れません。
そして、人類の歴史を変えたイエスというユダヤ人も・・・
今、神の国・日本に起きている日々の出来事は、神無き輩の傍若無人な振る舞い。
友達殺し、親殺し、子殺し、援助交際・・・
神が与えた宝物、それはお金じゃないはず。
一日のうちほんのわずかな時間でいい。
風に吹かれながら、見えない大きな力とつながり、この世に生きた意味を超えて、生かされていることの懐かしさに胸を熱くしましょう。
そして、何故胸が熱くなるのか黙っていてもわかる人と一緒にいられるとしたら、これ以上に豊かなことなどこの世にないのではないでしょうか。
人を殺してはならないのです。
いぢめも人の魂を殺すことです。
殺してはならない。
それは、議論したり理由を説明する必要などないのです。
神様の命令です。
神は罰など与えませんが、この宇宙の法則として
「出したものは必ず自分に還る」ようです。