「ザ・フナイ」に連載します
舩井勝仁さんから電話があって、「ザ・フナイ」という本に短期連載をしてとのこと。
勝仁さんの姪の船井かおりさんが担当だそうで、電話を代わり話しました。
「「ザ・フナイ」は、舩井幸雄が自らの多様な人脈の中から執筆者を選りすぐり、
マスメディアでは取り上げられない"本当の情報"をはじめ、まだ広く知られていない諸分野の
情報、先駆けた情報、および新しい世の中のヒントを提供したい、という強い意志と希望を持って2007年に創刊致しました。
読者層は、舩井幸雄の情報に注目をしてくださり、新しい情報に敏感な皆様を中心に、全国に大学生からご年配の方まで、幅広く読者会員様がいらっしゃいます。
また、全国の取り扱い書店での販売も好調です」
http://www.funaimedia.com/the_funai/
何を書いてもよい、ただ、そこに「 『エゴ』から『エヴァ』へというメッセージがあると嬉しい」と、かおりさんは言いました。
頼まれごとは、ハイと応えるようにしなさいと教えてくれたのはアンさんでした。
「何だって呼ばれるうちが華だからね」
8000文字から12000文字ですから、にんげんクラブの連載の倍のボリュームになります。
以来ずっと構想を練っている私です。
書き始めるまでに、さまざまなことを考えさせられています。
読み手にわかりやすく書くべきか、書きたいことを思うままに書いたらいいのかと考えます。
話をするにしても、聞き手に気を使うために常に空気を読むものです。
必要な人には、もの凄く必要とされる。
あれこれ説明はいらない、一発で切実に響くけれども、一方で響かない人には響かない。
難しいと言われたり、無理解を通りこして、誤解されたり、けなされたりもします。
しかも人口比からいって、対象となる層は少数派です。
だったら、もっと間口を広くして、同じことを言うにも、実用の要素を強めた方がよいのでしょうか。
「ヤマト人への手紙」という魂込めた原稿は、鍵山秀三郎さんや今野華都子さんが強力に推薦してくださったにもかかわらず、
致知出版は「売れないから」という理由で出版してくれませんでした。
かつて私の本を出してくれた、日本教文社も原稿を受け取りながら無視でした。
だけど、大勢の人たちに、いま役に立ち売れることが大切なのではない、
少数派が切実に求める、 そのような文章こそ、私が書く意味があるように思えます。
本のかたちになれば 必要な人には、どうにかして必ずたどりつく言葉。
それは、巨大部数を発行する大手出版社にはできないことでも、ここなら出来るかもしれません。
必要としている人に言葉を届けることができるのなら、書かなければならない。
むりに実用とからめたり、ものわかりのいい文章にせず、 本来いちばん書きたかったことを書こう。
なんか泣きそうになります。
「自分が本当に書きたいものを書く」
「自分が願うことではなく、自分に願われていることを書く」
聖書に学ぶやまとこころを伝えることに照準を合わせます。
内から幸せが満ち、さらに満ち、心は強められました。
でも、いちばん書きたいものほど、いちばん書くのが怖いものですね。
だから人は、小さなすりかえをするようです。
「人のためになるように」
「利益を生むように」
ともっともらしい理由をつけてすりかえて、実は、いちばん書きたい大切なことだからこそ、
それがうまく伝わらなかったら、いちばん痛い・恐い・立ち直れないその緊張から逃げるのかも知れません。
でも、「本当に書きたいものを書く」
まずはそこからしか始められないんじゃないでしょうか。
自分の「腹」は、伝えたいものを知っています。
ここからどううまく逃れても、情熱は損なわれます。
私もやっと気持ちが固まりました。
めんどうで緊張の持続を強いられる行為だけど、そこに向かっている限り、モチベーションはわき続け、
そこに幸福があるのでしょう。
そして、それこそが私がこの世に生きてきた意味を超えることになるのでしょうから。
さあ、ユダヤとヤマトの融合を物語にします。
聖書に学ぶやまとこころ、「ザ・フナイ」6月号から連載開始です。