赤塚高仁ブログ

私たちはみな、志願してこの世に転生しました。

2015.03.26

 『 私たちは、転生することで魂のレベルをアップさせることができます。

私たちは転生すること、そしてその生で自らの課題をクリアして学びを得ることで、レベルアップできるのです。

私たちはみな、志願してこの世に転生しました。

あちらの世界はたしかに心地の良い世界ですが、魂をレベルアップさせるためには、

あらゆる意味で愛と調和を学ぶのが難しいこちらの世界に降り、多くの経験とそこから得た学びを積み上げないといけません。

 つらいこと、悲しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、三次元物質界であるこの世でしか体験できないことばかりですので、

それらを経験することで、私たちは魂のレベルをアップさせていくというわけです。

 仮に魂がレベルアップすると、私たちは死後、各人が元いた場所とは違う「波動の高い世界」に行けます。

これが「徳を積む」ということです。

 亡くなると、私たちは各人の波動に合った場所に帰ります。

 波動というのは、この世の物質のすべてが持つ振動数(エネルギー・波長)です。

すべてのものは振動しており、私たちのからだを構成するものそれぞれも、

からだ全体としても固有の振動数を持っています。

振動数が近しい人とは惹かれあいます。

ラジオのチューニングを想像してください。

周波数が合った時には番組は聞こえますが、合わないと聞こえません。

それと同じ原理です。

逆に振動数が異なる人とは反発します。

これが「共鳴」です。

私たちがそれぞれ元いた場所(あの世)は、その振動数によって、たくさんのステージ(世界)に分かれています。

 自分も楽しみつつ、他人を楽しませることが人生では重要という言葉の深意は、まさにここにあります。

楽しんだり楽しませたりすることで、私たちの魂がレベルアップするのです。

 逆に自分に悲しい思いをさせる、他人を悲しませるようなことをする場合、

死後はその人があちらの世界でいた場所よりも「低い波動」に戻ることになります。

くれぐれもご注意ください。』

 矢作直樹さんの「見守られて生きる」から

 

 キリスト教の世界では、輪廻転生はなく、死んだら最後の審判をうけて天国か地獄かジャッジされるそうですが、

クリスチャンなのに死後の世界をありありと見せられて苦悩し、やがて転生の秘密を説くようになったのがエドガーエイシーです。

ケイシーにふれて、唯物論者からキリストの信仰者へと変えられ、生涯をケイシーのリーディングに捧げておられる光田秀さん。

生まれ変わりは、もはや当然の共通認識のようです。

私たちヤマト人にとっては、あの世の存在は当たり前のことだし、見えない世界から御先祖さんたちが見守っていてくれるのは常識と言っていいでしょうか。

「お天道様がみてる」

これが、ヤマト人の心の在り方をあらわす最高の言葉と思えます。

人間に生まれ、日本に転生することを志願して、今の時代に生きることを許されて、

今日も目覚めた私たちなのですね。

「俺はそんなこと信じない、見えない世界なんて信じない、神様なんて信じない、何にも信じない、信じるのは己自身だけだ」

と、いう人がいます。

それは嘘ですね。

明日の朝、目が覚めることを信じていなければ、人は眠ることなどできません。

後ろから誰も突き飛ばさないと信じていなければ、駅のホームで一番前に立つことできないはずです。

もっと素直であっていいのではないか、と思うのです。

もっと無邪気であっていいんじゃないかと。

私たちは、日本に生まれてきたことの意味を改めて考えてみなければならないと思うんです。

自分が自分であるためにも。

私たちが両親を選び、両親に名前をつけるよう導いて、その名前に今生の生き方の願いを込めて飛びこみました。

だから、氏名は「使命」なのです。

 

 誰でもない、私にしかできない約束の受け持ちを果たして帰りましょう。

「あなたの隣人を羨んではならない」とモーセの十戒に示されている意味がわかるような気がしますね。

ある人は目の働きを、ある人は足の働きを・・・それぞれが役割を志願してこの世にやってきたのですね。

生まれ変わったとしても、それはまた違う人生。

赤塚高仁としてこの世を歩くことができるのも、残り30年もありません。

一日生きたということは、残りの時間が一日少なくなったということです。

起きるべきことは必ず起きるのですから、どんなことも喜んで通らせていただきたいと願います。

人類史上誰も体験したことのない「今日」が始まります。

私たちは、すべての生命の進化の頂点にいま立っています。

そして、私たちのうしろに想像を絶する御先祖様たちがつながって見守ってくださっています。

ああ、今日も目が覚めてよかった。

いつか必ず目が覚めない朝が来るのですから。

もうすぐ夜が明けます、伊勢の海に行って手を合わせてきましょう。

 

 

 

 

 

 

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