赤塚高仁ブログ

クロフネ

2015.04.01

 中山靖雄先生が亡くなる前に、会わせたい人がいると言ってくださっていたのが中村文昭さんです。

クロフネカンパニーの社長でレストランを伊勢で始めた方ですが、いまや講演会で全国引っ張りだこの著名人。

三重県が生んだスターのひとりです。

名古屋ABCフォーラムで、講演をしていただいたので話は聞かせてもらっていて、メチャクチャ面白かったです。

私が教育勅語を覚えるきっかけになったのも、文昭さんの話からだったかも知れません。

伊勢にあった文昭さんの「クロフネ」レストランにも行ってみました。

いつかはお会いして話を聞きたいと思っていましたし、中山先生とも懇意にされていたので、

そのうちにチャンスは来るだろうと思っていました。

 

文昭さんと私の共通の友人の紹介で、中村文昭さんが津の私のログハウスを訪ねてくださいました。

その友は、中山先生が願っていたことを実現したかったから、どうしても二人に会ってもらいたかったと言ってくれました。

ありがたいことです。

超忙しい有名人が、わざわざウチにやってきてくれる! これは、天から中山先生も働いてくださってますね。

とにかく、話をするのを楽しみに待っていました。

 

「はじめまして!」と文昭さん。

でも、私の中では古くからの友達みたいな感じでしたから、なんだかなつかしい出会いでした。

約4時間。

話せども話せども、汲めど尽きぬ泉のごとく湧きあがる思い。

ああ! この人は本物の国士や!!

それに、話が本当におもしろい。

これほど面白いと思える会話は、どれくらいぶりでしょうか。

久しく感じたことのない、会話のスイング感。

話をしていて、おもしろい人と、
なんだか、つまらない人がありますね。

私が、話していて、おもしろいと感じる人は、
すぐにポン!と直線的な答えが返ってくるわけではありません。
私の投げかけをじっと受けとめて、言葉を発するまでに独特の「間(ま)」があるのです。

この「間」を心底味あわせてくれたのが、文昭さんです。

この「間」、会話にふっと訪れる静けさが私は好きです。
気持ちを新たにしながら、つつしんで、いったいどんな言葉が返ってくるのかを待ちます。
どきどきもします。
しばしの沈黙ののち、最初に発せられることばは、意外な言葉だったりするのですが、
言葉を重ねるようにして、しだいに、ググッ、ググッ、と、話が核心に近づいていきます。
そのようにして、届けられたメッセージは、胸にじーんと染みて、
わたしは、しばらく返事をするのも忘れ、その、返された言葉の感慨にひたっていることがあります。

そうすると、私の中でも化学反応がおこり、つっこみも忘れて「間」が生まれるのです。

一方、話をしていてなぜかつまらないと私が感じる人の共通点は、1つはっきりあります。

「予定調和」です。
予定調和の人は、返答のスピードがはやいし、はずれていない言葉を返してくださいます。
ためにもなります。
ふいの沈黙もなく、よどみなく、ポンポン、安心して会話がつづけられます。
でも、それは、「心がやすまる」というのとは、どこかちがうのです。
人が、からだのどれくらいの深さから言葉を発しているか?

そこが違うように思えるのです。
話上手と言われる人たちは、日ごろから、仕事のシーンや、世間話や、会話にこまらないように、
ネタや情報、処世術など、勉強して、集めて、ストックしていて、
どうも、その、胸の上あたりのファイルボックスから、
ネタを出し入れしながら、しゃべっている感じがするのです。
それは、はずれてないけど、どっかで聞いたような気がするのです。

話しておもしろいと感じる人が、言葉を発するまでに、しばし、黙る。
この沈黙のあいだ、彼らは、ダイビングしているように感じるのです。
人として深い部分に、その人が、いままで生きてきた、深い深い、
「経験の湖」や「命の泉」のような水脈があるのです。
そこから、何かをみつけだし、汲み出し、言葉に変えてゆく。
そのようにして、出てくる言葉は、私の投げかけに応じて、たったいま、このためだけに、
つくられ、生まれ出たメッセージです。
手作りのおにぎりのような、あたたかな命あるごはんのような言葉です。

既製品のコンビニ弁当のような言葉と、おもしろさに差を感じるのも無理はないでしょう。

話し上手なことと、この命の泉からくみ上げてきた何かを言葉に乗せることとは、
別次元の話です。
人がもっている経験や、その中から生まれた
さまざまな想い、感覚は、当人からみれば、ふつうで、
なんのおもしろいことではないかもしれません。
でも、自分とはちがう他人から観れば、自分でおもうより、よっぽど新鮮で、かけがえないかもしれないのです。
出して、みなければ、それは、わからないものです。

常に常に、自分の湖をくみ上げて、考える筋肉を鍛え、伝えることに命を懸けている人は、
自分の想いと、ピタッと言葉が一致してきて、実に自由です。
その解放感が、まわりをもすがすがしくさせるのでしょう。
表現とその人の一致、そのための、「考える力」がある人を、私は、心底、自由で、話のおもしろい人だと思うのです。

中村文昭さんとの4時間の対話の時間は、間違いなく私の中にあった命の泉へのアクセスパイプをひらきました。

こんな気持ちうまく言えたことがないのですが、感動を通り越して、生きてることのなつかしさに涙が出るほどでした。

同席していた友人も、会話を聞きながら何度も涙こぼしていましたから、

きっと命の泉にアクセスしたんでしょうね、そんな力があります、間違いなく文昭さんの言葉には。

 

 文昭さんから聞かされた台湾の話は、今後私も伝えていかなければいけないと思っていたところに、間をとりもってくれた友からの電話。

「文昭くんから連絡あって、赤塚さんと会ってからアドレナリンが出まくって、寝れなかったって。

一緒に本が出したいって思うゆうてたよ。 それに、早いうちにまた逢いたいから津に行きたいって。

いい? 6日夜、泊りがけでログハウス行っても」

クロフネは、まさに中村文昭さんに相応しい名前であり、彼のエネルギーを象徴してます。

さぁ、 再び黒船の襲来に備えて魂燃やして待ち構えるとしますか。

 

 

 

 

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