静かなる呼びかけ
寛子さんが留守だったので、マホちゃん先生とご飯食べることになりまして、
誕生日には鰻をご馳走してくれると言ってたことを思い出し、二人で「はし屋」さんに行きました。
私たち親子は、ウナギ大好き遺伝子が組み込まれているようで、
どうしよもうなくウナギが好きなのです。
ちなみに、人口当たり最もウナギを食べるのが津市であります。
私などは、小学校の通学路にウナギ屋さんがあったものですから、店の換気扇の煙の下で、
毎日煙を浴びる子供でした。
通学するときの帽子が、ウナギの油でテカテカ光る。
ウナギの匂いでご飯食べられるほどでした。
さて、ウナギを食べる親子の会話です。
「お父さん、パウロの声を聴いたときどんな感じやった?」
そうやなぁ、耳に聞こえたというよりも、心の中に聴こえてきたという感じかなぁ。
うーーーん、もしかしたら幻聴かも知れんと思うときもあるんよ・・・本当やったんかなぁ・・
と、答える私に
「神様の声を聴いたのに、幻聴とか言ったらあかんと思うわ。
多くの人は、神様の声聴いてるのに、あやふやで信頼できへんって否定するから、
霊的な声も遠のいていくらしいよ。
そのうちに、内なる呼びかけも聴こえなくなっていくんと違う?」
ウナギ丼をご馳走になり、ビールとお酒もマホちゃん先生に奢ってもらい、
霊的指導も受けて、私はホンマに幸せでした。
神学校も出ていませんし、宗教的な素養もない俗人が、シリアのダマスカスで聴いたパウロの声。
「お前はこれから、私のようにキリストを伝える。
そのままのお前を使う。
そして、私は必ずお前とともにいる」
その声と共に嬉しいとか悲しいとか、そのような感情を一切超越して号泣した体験から13年の時が流れました。
聖書もそれ以来、読み込んできました。
聖書が、神の霊感の結晶であることもわかりました。
聖書を書かされた人物が、どのような霊的状況の中でメッセージしているのかにシンクロする時、
聖書が語りかけてきます。
そんな私がいつの間にか聖書の講義をする場が与えられて、聖書を説く様になっています。
第3回は、旧約聖書をひもとき、シナイ山で燃える柴の中にエホバの神の声を聴いて立ち上がり、
40年間ユダヤの民を率いて荒野を旅した偉大な指導者、モーセを伝えます。
人類史上最大のリーダーだったと糸川英夫博士が教えてくださったモーセです。
九州、四国、関東、50名の兄弟姉妹が名古屋に集められます。
聖書に霊感し、世間の常識やこれまで自分が作り上げて来た習慣を突破して、
ひとりひとりが自分にしかできない独自の使命に目覚めてゆきましょう。
それが、天の願いであり、それしか世界を変えることはできないのだと思えます。
周囲がどうあろうと、内なる静かな呼びかけを神の至上命令として従ってゆく霊的情動。
これが、やまとこころであります。
道徳の実践を超えて、霊的摂理の実行のときですね。
かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂 (吉田松陰)