まだまだ未熟です
長い間、卒業した大学の三重県校友会副幹事長という役をさせてもらってきました。
ずっと大学の校友会で年配の先輩方とお付き合いをさせていただいてきました。
三重県庁の偉い人、衆議院議員、県議会議員、市会議員、銀行の偉いさん・・・
夕べ、幹事会があって津駅前の居酒屋で一杯、みなさんと飲んでました。
酔いがまわって、みなさん次第にざっくばらんな話が始まってきました。
ふと、気がつくとすべての会話が「過去」の物語
いかに昔の自分が素晴らしかったか、あのころがどんなに輝いていたか
ある先輩が、自分の武勇伝を語り始め、延々と自慢話を披露し始めました。
四角四面の世の中の話より、人生のバラエティーとしての味付けとして面白い話・・・のはずでした。
でも、あまりの不愉快さに、中座してワシ、帰ってきてしまったのです。
大人げなかったと思います。 何を聞いても、面白く楽しみ、自分の参考と興味にしなければいけません。
でも、これまでずっとあの場にいて、当たり前と思っていたことが違って感じたという発見もありました。
大学の先輩方が、悪いのでもなんでもなく、ワシの考え方が変わったのでしょう。
澤田ファミリーは、ちょっと、上品とは違うかも知れませんし、乱暴な行為もあり、タバコぷかぷかだけれど、義理と人情、仁義はあります。
そして、みんな命がけで仕事にとりくんでる、一ミリのウソもない家づくりのために。
自分のことの前に、仲間のことを思い、話すより聞き合います。
ワシを教えてくださっている師匠は、「毎秒毎秒真剣に生きる」と叫び、
本当に「今・ここ」に命を注いでおられます。
超人的なスケジュールですが、出会う人とド真剣に向き合い妥協はありません。
今を真剣に生きていないとき、人は不安になるようです。
それは、頭が「過去」と「未来」を行ったり来たりするからでしょうね。
過去も未来も、頭が造りだした「幻想の世界」であり、エネルギーのない世界。
唯一、「今・ここ」がエネルギーとつながるところ。
ワシは、 有名な大学に行くことが、とても誇らしく、
その大学の名前を出すことに優越感を感じていたのでしょうか。
そんなことは、生きることとなんの関係もないただのコンプレックスの裏返しと思わされました。
もちろん、出身大学は大好きですし、その時代はワシの宝もののような思い出であり、
経験です。
諸先輩方の地位も名誉も素晴らしい。
大変失礼なことしたと、ワシは、ちょっとお酒が覚めてから恥じてますねん。
でも、もう行かないとおもいますけど。
これまでの大切だと思っていたことのひとつひとつを捨てていきます。
それが、今一番大切な修養だと思えるからです。
そして、修養は人生そのものであり、人生と仕事は一つでしょう。
人生を離れた修養はないし、仕事を離れて人生もありません。
人生とは、動物をはなれることかもしれません。
人間の中でも、魅力ある独特の個性あるものに成長してゆきたいものです。
酒の飲み方にも修練がありますね。
まだまだ未熟ですが、今日もお客様との折衝を通して、学び成長させていただきます。
死ぬ日まで仕事ができる、商売人として生かされることが感謝でなりません。
今日は、要らないもの、この一年使わなかったもの、思い切って捨てます。
掃除は、片づけることではなく「捨てる」こと。
そして、過去も「生ごみ」として捨てて
「今・ここ」に命つなげて生かされます。
今日も生きててよかった。