火花
移動する電車の中は、読書のための貴重な時間です。
お笑い芸人、又吉直樹さんの「火花」読みました。
読後感は・・・ビミョーに何かが残ります。
高校時代に、太宰治の「人間失格」を読んだ時の後味の悪さにちょっと似ているでしょうか。
その後味の悪さをひきずったまま、いつの間にか40年も生きてきた私ですが。
うーーんってうなったページがあります。
96ページです。 こんな風に書かれています。
「ネットでな、他人のこと人間の屑みたいに書く奴いっぱいおるやん。作品とか発言に対する正当な批評やったら、しゃあないやん。それでも食らったらしんどいけどな。その矛盾が自分に向けられたら痛いよな。まだ殴られたほうがましやん。でも、おかしなことに、その痛みには耐えなあかんねんて。ちゃんと痛いのにな。自殺する人もいてるのにな」
「はい、僕も狂ってると思います」
「だけどな、それがそいつの、その夜、生き延びるための唯一の方法なんやったら、やったらいいと思うねん。俺の人格も人間性も否定して侵害したらいいと思うねん。きついけど、耐えるわ。俺が一番傷つくことを考え抜いて書きこんだらええねん。めっちゃ腹立つけどな。でも、ちゃんと腹立ったらんとあかん思うねん。受け流すんじゃなくて、気持ちわかるとか子供だましの嘘吐いて、せこい共感促して、仲間の仮面被って許されようとするんじゃなくて、誹謗中傷は誹謗中傷として正面から受けたらなあかんと思うねん。めっちゃ疲れるけどな。反論慣れしてる奴も多いし、疲れるけどな。人を傷つける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも、一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況はいいように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するというやりかたやからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けてると思うねん。可哀想やとおもわへん?あいつ等、犠牲者やで。俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。薬物中毒と一緒やな。薬物は絶対にやったらあかんけど、中毒になった奴がいたら、誰かが手伝ってやめさせたらな。だから、ちゃんと言うたらなあかんねん。一番簡単で楽な方法選んでもうてるでって。でも、時間の無駄やでって。ちょっと寄り道することはあっても、すぐに抜け出さないと、その先はないって。面白くないからやめろって」
ほんまに私もそう思いますね。
プラス思考の勉強会や、朝早くやってるセミナーに出た後、言いようのない気持ち悪さがあるのですが、
そこに偽善の波動を感じるからでしょうか。
そのウソ臭さに耐えられず、あらゆる倫理的な会から距離を置いてきた私は、火花の主人公神谷に共感するのでしょう。
自分の心の声に正直に従うことは、容易ではありませんが、
それを抑え込んで周りに気を使い続けることも、一種の自殺なのでしょうね。
ただ、56歳の今日まで生かしていただいて、少しずつ見える風景が違ってきているのも事実です。
気づきもありました。
倫理的な会がウソ臭いわけではなく、
ウソ臭いのは、私自身です。
自分の中にどんなものがあるのかを、周りは映してくれる鏡です。
磨いて磨いて、人のいいところしか見えない自分になります。
そうでないところが見えても、それは自分の投影だと受けとめ、人に嫌な思いをさせないようにします。
どんなことがあっても「~にもかかわらず」笑っている人であろうと思うのです。
今日も、人間関係の中で、磨かれてゆけること喜びます。
と、ウソ臭くまとめた今日のブログでした。
私小説もたまにはいいですね、「火花」読んでみてください。
今日は蒲郡に向かって移動中。
舩井勝仁さんとジョイント講演会です。
やまとこころのキャンドルサービス、行って参ります。