話を聞くということ
相手が話し終わるまで全部聞く。
こんな当たり前のことができさえすれば、人間関係は格段にうまくゆくことでしょう。
近しい人になればなるほど、この姿勢をとるのが容易ではなくなるようです。
どんな相手であろうと、縁があったのですから、まずは受けとめることでしょうか。
しっかり聞くから、ちゃんと質問ができ、対話として正確になりたってゆきます。
話の途中で、「あ、それ知ってる」とか「でもね」「っていうか」と話の腰を折り、
自分の話にもっていく人がいますが、その人とはだんだん話したくなくなるし、まわりから人がいなくなるようです。
本人は自分のことを話上手だと思っているし、自分のことを積極的ないい人だと信じているので、いささか厄介なのです。
その人は、電話をかけてきてくれても相手と話すためでなく、自分が喋りたいだけなので、黙って話を聞いてくれる相手を必要としているだけなのですね。
だから、少しでも意見しようものなら「ってゆーか」と言って遮り自分のことに話を戻していきます。
これは、コミュニケーションではありませんから、相手をする人はいなくなるでしょう。
他人のエゴにつきあうほど余裕のある人生などありませんから。
先日、私の新聞のエッセイを読んだという津市の方からお電話をいただきました。
マホちゃん先生が対応させてもらったのですが、
「私社長さんの意見に本当に感心して、私社長さんと話がしたいから今から会社へお邪魔させてもらっていいです?
いえいいえ、社長さんがおられなかったら、帰って来るまで会社の外で待ってますから。
ええ、大丈夫ですわ、私退職してヒマですから・・・」
マホちゃん先生の対応が上手だったので、その女性は会社に来られることなかったですが・・・
いろんな方がおられますが、どんな話の中にも聞き手にとっての学びが存在します。
その人はその状況でそう感じたのか・・・どうしてそうかんじたのだろうか・・・もし、自分だったらどうしただろうか・・
さまざまなイメージトレーニングも可能です。
しっかり寄り添って聞くことで、思いやりの心、共感する心が高めてもらえるようです。
それで自分自身に対する信頼も高めてもらえるのならば、聞くということがどれほど大切なことか改めて思わされるのです。
うまくしゃべるより、うまく聞く。
しっかり傾聴して要点を押さえ、疑問は質問する。これだけです。
話を聞くといいことばかりで、聞かないでいいことはありはしないのかも知れません。
さて、話したがり、ヒマつぶし、価値観の全く合わない人がやってきたとします。
そんな人たちは、相手の必要や都合におかまいなく自分の知識や意見を押し付けてきます。
「そうですね、わかりますよ」
言っていることはわかります、でも、私には今必要ではありません。
ここからは、うなずきながら相手へ共感せず、窓口をしめて一刻も早くその場を離れる努力をします。
必要のない縁を生まないことも、心の平安のためには実に大切なことだと言っていいでしょうか。